衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2023年12月05日    火曜日     第1 回の開示 合計4068回の開示

如来蔵の見分と五遍行心所法との関係

如来蔵の見分は、如来蔵が法を見る機能作用であり、如来蔵は五遍行心所法である作意・触・受・想・思の運作を通じて一切の法を見、法を摂取し顕現させる。この時、末那識である意根が初めて法を見ることができるのであり、それ以前は如来蔵のみが独自に法を見ている。しかし意根は如来蔵の見分機能を見ることはできず、成仏後あるいは地上の菩薩のみが如来蔵の見分機能と心所法の運行を見ることができる。凡夫や地前菩薩の意根にはこのような大智慧と禅定力がなく、幾地の菩薩であっても必ずしも明晰円満に見通せるわけではない。

八つの識が法を見る作用は、いずれも各々の五遍行心所法によって実現される。如来蔵自体も識種子を有し、識種子が絶え間なく運行することで如来蔵の行相が顕現する。如来蔵は種々の法に対し、作意・触・受・想・思という五遍行心所法を運行させ、法を了別し処理する。その機能は七識の受・想・思とは一定の差異があり、如来蔵の五遍行心所法の運行にはいかなる煩悩や無明も混ざらず、無心の運行状態に属し、任運而行、法に随って行うと言われる。このうち受は境界に入らず、想も複雑な思想活動を伴わず、思はただ択び造作し、法を維護管理するに留まる。これに対し七識の五遍行心所法は運行過程において無明や煩悩が混在し、種々の複雑な心念を伴い、無心の運行状態ではなく、境界の影響を強く受ける。

七識もまた各々自らの識種子を有し、その見作用も五遍行心所法に依って運行される。五遍行心所法の運行過程においては、若干の煩悩や無明が混入する可能性があり、善悪の心所法及び不善不悪の心所法も併せて現れる場合がある。五遍行心所法の運行後、七識は見聞覚知の機能作用を有するようになるが、七識に煩悩心所法が現起するため、七識の見聞覚知には一定の遮障作用が生じ、法を見る作用が真実から外れ不正確となり、多くの誤解を生じる。このような誤解が悪業を造作し、悪い因縁果報を形成する所以である。

——生如法師の開示
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