衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

生如法师のウェブサイトロゴ

日常開示

2023年04月29日    土曜日     第1 回の開示 合計3928回の開示

仏陀は午後不食戒を守られたでしょうか

或る人々は戒律をもって仏を縛り、午後は食事を摂らないという戒律を守らせようとします。晩供養だけでなく、午後の供養も行いません。なぜこのような方々が諸仏菩薩をこのように扱うのでしょうか。凡夫衆生は仏菩薩の境地を理解せず、戒律の本質的な意味を悟っていないからです。仏菩薩を自分と同じ凡夫、それも人間の凡夫と見做し、仏菩薩も人間衆生と同じように午後不食の戒律を守るべきだと思い込んでいるのです。

仏陀がかつてこの戒律を制定されたのは、修行者が心を清浄に保ち、飲食の妨げを受けずに継続的に修行に励み、散乱や昏沈の状態に陥ることなく修行を進められるようにするためでした。しかしこの戒律は仏陀や諸大菩薩には当てはまりません。たとえ仏菩薩が人間界で人身をもって住世されても、この戒律に縛られるべきではありません。第一に仏陀は修行する必要がなく、第二に仏陀は無量の道行を具え、飲食を自在に変化させることができるからです。食さずともよく、無量に食しても身心に影響ありません。しかし仏陀がかつて人間界で午後不食を実践されたのは、衆生のために模範を示すためでした。天人の前では、仏陀は時間の制約を受けず、随時随所で天人たちの様々な供養を受けられました。

諸仏菩薩が人間界にいない時、その仏国土では太陽光を昼夜の境界としません。他の仏国土の一分間は娑婆世界の人間の数日に相当します。では人間の朝夕の時間を他の仏国土の時間にどう対応させるのでしょうか。欲界の忉利天以上の天界には太陽がなく、自然に光明が現れます。太陽光を必要としないため、忉利天以上には闇夜がありません。他の仏国土にも闇夜はなく、仏の世界に至っては夜という概念自体が存在しません。人間の午後不食戒など、時空を超えれば全く意味を成さないのです。故に供仏に際し、人間界の昼夜など時間を考慮する必要はありません。

さらに言えば、諸仏菩薩には無量の智慧をもって食すか否か、どれほど食すか、いつ食すかを決めることがおできになります。凡夫の智慧でどうして仏菩薩の行いを推測し制限できましょうか。故に供仏に時間制限はなく、仏の境地には時間がなく朝夕の区別もありません。仏は衆生が福徳を積むために布施を受け、自らは何も必要とされません。仏には戒律による制約もなく、無量の智慧と徳能をもって既に戒律による束縛を超越されています。人間衆生が天人や神人、諸仏菩薩に人間の習性や習慣を求めるべきではありません。

人間の思考は人間生活の範囲に制限され、人間を超えた衆生や仏菩薩の境地を理解できません。我々仏教徒は人間の狭隘な思想や境地、様々な習慣を突破しようと努めるべきです。人間が両足で歩行するのに対し、天人は空中を飛行します。我々は歩行の規則をもって飛行する天人の行為を規制すべきでなく、ましてや人間凡夫の規則をもって諸仏菩薩の心行を制限・規定してはなりません。人間は諸仏菩薩と比べれば幼児のようなもので、仏菩薩の心行や境地を理解し想像することさえできません。故に様々な誤解や不理解が生じるのです。我々は心量と眼界を広げ、凡夫の狭隘で理に適わず幼稚な思想を突破し、より高次元の生命の思想境地と行為規範に近づくよう努めるべきです。

——生如法師の開示
前の記事前の記事

真の解脱者は空空にあらず

次の記事 次の記事

催眠状態における意根の心理活動の観察

ページのトップへ戻る