衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2023年03月09日    木曜日     第2開示 合計3890開示

勝解心所法 (adhimokṣa-caitasika-dharma)

法に対する勝解 (adhimokṣa) は、七つの識すべてにあります。七つの識はそれぞれ対応する法を有しているからです。もし、どれかの識が自分に対応する法に対して勝解できないならば、その識の心は対応する法をはっきり認識することができず、その後の働きが現れることはなく、あるいはその後の働きがすべて錯乱してしまい、衆生は正常に生活し働き修行することができず、何もかも語れなくなってしまいます。六識はこのようであり、第七識はなおさらそうです。作主する識が対応する法を勝解できないならば、それは天下が大混乱に陥るのと同じことであり、愚痴な衆生でさえいようとすることが難しくなります。細菌でさえ直面している状況を勝解できるのですから、高級な衆生である人や天の大衆において、主宰をつとめる第七識が塵境などの諸法を勝解できないならば、どのようにして五陰身の運行を調節制御するというのでしょうか?盲猫が死んだ鼠にぶつかるような、ぼんやりとした指揮であってはならず、このような五陰身は生存することができません。

たとえば、ある人が花を買おうとするという事について言えば、花市に行って数多くの生花を見て選び抜くとき、眼識は見た花の色に対して勝解がなければならず、はじめて生花の色つやがどのようなものであるかを知ることができます。意識もまた生花に対して勝解がなければならず、はじめて生花が鮮やかで新鮮かどうか、自分が買おうとしているものかどうかを知ることができます。意根は生花に対してなおさら勝解がなければならず、六識が見て選んだ生花の品種、色つや、価格などの状況を、いっそうはっきりと知っていなければなりません。そうして初めて、買うか買わないかを決定することができます。もしはっきり分からなければ、あるいは決めかねるならば、引き続き六識に選択と比較をさせ、完全にはっきりして満足するまで続け、はじめて最終的な決定を下し、それから花を買うという事柄がようやく終わるのです。一切の法についてもすべてこのようであり、六識の了別の状況を、第七識である意根がすべて勝解できなければならず、はじめて一切の法の運行を推し進めることができ、錯乱することなく、五陰身が正常に生活し働くことができるのです。

——生如法師の開示
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