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日常開示

2023年03月01日    水曜日     第1 回の開示 合計3883回の開示

大乗法における二十種の空

『大般若経』第五十一巻において、仏は大乗に二十種の空があると説かれ、菩薩はこれを修学すべきであると示された。それらは内空・外空・内外空・空空・大空・勝義空・有為空・無為空・畢竟空・無際空・散空・無変異空・本性空・自相空・共相空・一切法空・不可得空・無性空・自性空・無性自性空である。世俗法の空とは無・非有・不存在・不可得を指すが、自性如来蔵の空は世俗法の一切の相を離れた空であり、世俗法とは異なり本体は実有として存在する。ただ世俗法を認知するような方法では如来蔵を正しく認知できず、世俗の認知方式で如来蔵の空を捉えようとすれば誤解を生じやすい。二十種の空の内略を概説すれば次の通りである:

内空とは内法たる眼耳鼻舌身意の空を指す。外空とは外法たる色声香味触法の空を指す。内外空とは内外法たる内六処と外六処の空を指す。

空空とは一切法が悉く空であり、この空すらも空であることを指す。大空とは東西南北四維上下の十方の空を指す。

勝義空とは涅槃の空を指す。なぜ涅槃が空なのか。涅槃とは如来蔵本体が顕現した寂静の状態に過ぎず、状態自体は真実の法ではない。ましてや如来蔵によって顕現されたものであるから、涅槃と如来蔵本体を混同すべきではない。これらは虚と実の関係にある。

有為空とは欲界・色界・無色界の三界の空を指す。三界は造作されたものであるから有為であり、無から有へ生じた法は本来空である。無為空とは生住異滅の現象が空であることを指す。つまり生住異滅の現象は空であり、無生住異滅の現象も顕現されたもので空である。有無は仮立の法に過ぎず、言説のみである。畢竟空とは諸法が究竟において不可得であることを指す。この不可得が空であり、可得も不可得も実体なく戯論に過ぎない故に空である。

無際空とは一切法に前際・中際・後際が不可得であり、往来の際も不可得であることを指す。事物の発生・発展・変化における前中後の時点が不可得であり、この不可得が空である。一切法に前中後の時点が可得であることも空であり、不可得であることも空である。一切法に往来の際・発展・変遷があることも空である。例えば衆生の過去・現在・未来世が空であり、往来の際も空である。凡ての現象・性質・状態は悉く空である。

散空とは一切法の離散・散壊・棄捨といった現象が空であることを指す。集散ともに空である。無変異空とは不変・不異・不離散・不散壊・不捨棄といった現象が空であることを指す。変異と不変異ともに空であり、戯論に過ぎない。本性空とは一切法の本性が空であることを指す。有為の法性も無為の法性も、諸仏菩薩や声聞縁覚が造作したものでもなく、凡夫が造作したものでもない。人為を離れている故に空である。

自相空とは一切法の自体相が空であることを指す。例えば色蘊の自相は質礙であるがこれが空であり、受蘊の自相は領納であるがこれが空であり、想蘊の自相は取像であるがこれが空であり、行蘊の自相は造作であるがこれが空であり、識蘊の自相は了別であるがこれが空である。このように有為法の自相も無為法の自相も悉く空である。

共相空とは一切法の共通の相が空であることを指す。例えば有漏法の共相は苦であるがこれが空であり、有為法の共相は無常であるがこれが空であり、一切法の共相は空・無我であるがこれが空である。このように阿羅漢が証する五蘊空・無我は空であり、辟支仏が証する十二因縁も空である。一切法には無量の共相があるが悉く空であり、一切法は自相も共相も全て空である。

一切法空とは五蘊・十二処・十八界の法が、色あるも色無きも、見有るも見無きも、対有るも対無きも、漏有るも漏無きも、有為も無為も悉く空であることを指す。

不可得空とは一切法が不可得であることを指し、この不可得すらも空・不可得である。一切法には過去・現在・未来の法も含め悉く不可得である。過去に立脚すれば現在・未来が不可得であり、未来に立脚すれば現在・過去が不可得であり、現在に立脚すれば過去・未来が不可得である。これらの不可得もまた空である。

無性空とは一切法に何らの性質・属性も無く、この無性すらも空であることを指す。例えば水に水性も非水性も無く、湿性・軟性も無く、硬性・動性など一切の性が無いが、この無性も空である。五蘊に五蘊性も非五蘊性も無く、一切の性が無いが、この無性も空である。

自性空とは諸法の自体性が空であり、自らを主宰する性が空であり、自体和合を生じる性が空であることを指す。無性自性空とは諸法の無自主性・無主宰性が空であり、諸法の被主宰性も空であることを指す。即ち諸法の能和合性が空であり、所和合性も空である。

諸法の有性・無性・自性・他性は悉く空である。有性空とは五蘊の有の性が空であることを指す。無性空とは諸法の無為性が空であることを指す。自性空とは一切法に無自性があることを指し、この空は智によって成じたものでも、見によって成じたものでも、他の何らかの法によって成じたものでもない。他性空とは仏の出世不出世に関わらず、一切法の法住・法定・法性・法界・平等性・離生性・真如・不虚妄性・不変異性・実際が、他性によって空であることを指す。

要するに、凡ての言説に実義無く、凡ての知見に実義無く、凡ての指示に実義無く、凡ての観念に実義無く、凡ての思惟と造作に実義無く、凡ての法想に実義無し。一空到底し、遂に空じ尽くせぬものこそ不空の空であり、これ以外は悉く空である。

——生如法師の開示
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