衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2023年02月14日    火曜日     第3 回の開示 合計3860回の開示

意根の本質とはどのようなものか

净和の体験:ある日、私は椅子に座ってヘッドフォンで大悲咒を聴いていた。聴いているうちに眠りに落ち、夢も見なかった。その時(実際は視界ではなく方向感覚もなかったが、当時はその自覚なし)、広漠たる宇宙の中にいるかのように、暗闇の中に微かな動きを感じた。好奇心が湧き起こり、原因を知りたいと思った瞬間、その動きは一点の光となった。

私(当時は自我の概念なし)は光に向かい続け、光に触れた瞬間に意識が生じ「あの動きは実はヘッドフォンから流れる大悲咒の音だった」と理解した(この時突然気付く:何かが身体から脳に入り、五感が機能し始めた)。意識発生前の状態を回想すると、物心つかない子供や小動物のようで、何か動きがあれば誘われるままに従い、全く反省能力がなかった。

評:睡眠時の視界は実際の視界ではなく、意根が対応する法である。この時、眼識と意識は滅していなくても極めて微弱で、前後の方向感覚がなく、意根は法を明確に認知できないため、広漠とした空間に感じる。好奇心を起こして光に向かうのはまさに意根であり、これが意根が法を縁取ろうとする状態である。しかし自らが法を縁取ろうとしている自覚はなく、自我への感知力が弱い。大悲咒の音声を縁取った時も明確に弁別できず、ただ光を感じる。大悲咒の加持力が光のように作用したためである。

意根が大悲咒の音声を縁取り、光を感じ始めた瞬間、微弱な意識が現れ、これが大悲咒の音声であることを了別した。意識が音声を了別した時、意根は既に光(音声)が脳に入るのを感知し、意識は瞬時に理解した。この時五識が現れ、意識はより清明になった。清明化した後、意識は先の過程を回想し、意根が子供のように定力なく現れる動きに好奇心で従う様を感じた。極めて純朴で幼稚ながらも敏捷で、事あるごとに反応する。もちろん意識による回想も、意根が先の事象を理解しようと意識に回想を促す行為である。意識発生前の事象を回想するには、意根が場面素材を提供しなければ、意識(つまり我々)は先に何が起きたかを理解できない。

この記述はまさに意根の心態を正確に描写している。純朴で原始的、自制心がなく、意識の監督と牽制を必要とし、意識の督促と先導を要する。この意根に対する如実なる描写を深く体得し、意根の特性を味わい、意根の体性を理解すべきである。

——生如法師の開示
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