衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常開示

2023年02月11日    土曜日     第4 回の開示 合計3857回の開示

世の中の一切の法相とは一体何なのか

仏は『楞厳経』第三巻において七大種子の本性が円融無礙であり、本来如来蔵に具わり、生滅なく、法界に遍満し、澄然として常住し、業に随って顕現すると説かれました。七大種子が本来如来蔵の性質を具え、如来蔵と同様に生滅なく、増減せず、汚れを受けることなく、互いに円融無礙でありながら虚妄の世間を形成する以上、七大種子は如来蔵と同様に来去なく、空有なく、変化なく、清浄常住でありながら影像を留めません。では、七大種子によって構成される世間はいかなる様相であり、いかなる性質を持つのでしょうか。

七大種子は空ではなく、その機能作用と属性によって万法を形成しつつも生滅なく、如来蔵の心体における実有の法であります。種子は空でないものの相を具えず、世間のいかなる俗相も持たないため、俗人の眼では見ることも覚ることも知ることもできず、空と称されますが、実は空性であります。

七大種子が無相で空でありながら生滅しない以上、如来蔵の中から生じて出ることもなく、また滅して如来蔵の中に帰ることもありません。七大種子が如来蔵の外に出ることなく世間の諸法を形成するならば、無相の法が有相の法を形成することはなく、形成された世俗の法相も依然として空であり無相、すなわち空性であります。また如来蔵は無相であり、中に有相の法を留めることができません。有相と無相は互いに相容れないため、一切の七大種子が顕現し形成する世俗の法は必然的に無相でなければならず、そうして初めて如来蔵の空相の中に存在し得るのです。

ではなぜ衆生は一切の世俗の法を有相として見るのでしょうか。衆生はなぜ有相の世俗法相を見るのでしょうか。例えば衆生は四大色身や七大五陰身を見、甲地から乙地へ歩み、五陰が躍然と眼前に現れ、我あり、人あり、物あり、時間あり、空間あり、場所あり、あらゆる法相が揃って欠けることなく存在すると見做します。これらの法相はいったい何でしょうか。なぜ色相があり、心相があり、非色非心の法相があるのでしょうか。四大・五大は生じたことがなく、如来蔵から出たことがないのに、なぜ俗相の色身や種々の物相が現れるのでしょうか。見大識大は生じず、如来蔵の外に出ることがないのに、世俗の心相はなぜ生じ眼前に現れるのでしょうか。

色身は仮相妄相であり、実際には存在しません。五陰身は仮相妄相であり、実際には存在しません。甲地乙地は仮相妄相であり、実際には存在しません。時間空間は仮相妄相であり、実際には存在しません。これらの法相はすべて衆生が虚妄に見做すものであり、見ることすらも虚妄、幻すらも幻であります。

これら一切の法は生じたことがない以上、滅することを論ずる必要もありません。七大種子は元来如来蔵の外に出たことがなく、まったく如来蔵から出たことも滅したことも、滅して如来蔵に帰ったこともありません。もしそうであるなら、如来蔵の外に如来蔵に属さない法が存在することになり、そのような法と如来蔵の境界は何か、両者の関係はどうなるのか、という問題が生じます。一切の世俗法が生じたことも滅したこともない以上、いったい誰がこれらの法の生滅を見たのでしょうか。何をもって見たのでしょうか。見る者は生じたことがあるのでしょうか。滅するのでしょうか。見る過程と結果はどのような法相でしょうか。生じたことがあるのでしょうか。滅したことがあるのでしょうか。

如来蔵の中にも五陰身が甲地から乙地へ移動するような事実はなく、入胎・出胎・離身といったこともなく、何らかの法が生じ滅するようなこともありません。一切の事相法相は七識の妄見、虚妄の見であり、それ故に虚妄の法を見做すだけで、実際にはそのような事実はなく、何事も起こっておりません。皆眠りにつくがよろしい。もし安らかに眠れず、心安らかでないならば、起きて仏法を学び、学んだ後に証し、一切の法の実質実相を極力証得し、一切の法相を明らかに見極めれば、やがて大いなる夢から覚めることでありましょう。世間の仮劇には本来人もなく、劇もなく、観る者もありません。それは何か。夢であります。夢ですらなく、夢もありません。誰が夢を見るのか。誰が劇を観るのか。人なし。

最終的にこれらの法を真に証得した時、思わず声をあげて泣き崩れることでございましょう。無始劫以来、実に冤枉の極み、空しくあれほどの業行を造り、あれほどの苦しみを受け、種々の取捨・貪執・妄動、種々の苦恼、あれほど心を砕き、あれほど煩悶した結果、何ひとつ存在しなかったとは、まことに冤屈かつ憐れむべきことではございませんか。

——生如法師の開示
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