衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2023年01月30日    月曜日     第2 回の開示 合計3840回の開示

どのように速やかに入定し、法義を参究するか

今から、すぐに禅定に入りながら参究と観行を同時に行える方法をご紹介します。これにより迅速に参究の境地に入ることができます。

我見を断つには、五蘊における「私」が重要です。この「私」が何であるかを思量します。坐禅中に思量する場合、座って結跏趺坐した後、呼吸を整えます。通常は数回深呼吸し、身前の任脈を滞りなく通し、頭を明晰に保ちます。次に「私」という一念を提起します。最初は意識心中に「私」という文字とその意味が現れます。その後、意識がこの「私」への疑情を意根に伝達します。意根に委ねた後、意識の念いは次第に消え、心が空っぽになり、何の念いもない状態を感じます。

しかし心は本当に空ではなく、意根が「私」という疑問を宙吊りにしています。深遠で捉えどころがなく、掴めたかと思うとまた逃げるような感覚です。この時意識は念いを起こさず、意根における「私」への疑情を次第に鮮明に、深く刻み込むようにします。心に彫られたように定着させます。こうして禅定が生じ、一心不乱に「私」を参究します。この時意識は消失したかのようですが、意根は違います。意根の思量作用は捉えにくく感知しづらいものの、定力が増し、心が微細になれば意根の深い思量が感じ取れます。それは綿々と続き、極めて微細です。

この時心は極静かで、「私」への疑い以外何もない状態です。これは深遠な禅定であり、同時に一心不乱の参究と観行の修行です。定慧等持が偏りなく実現されます。禅定が深まるにつれ、身体は非常に快適に、頭脳は明晰になります。この状態で昏沈を感じたり無念の定に入りそうになったら、意識は再び意根に「私」という言葉を喚起させ、注意力を全て「私」に集中させます。心を空虚にせず乱さず保ちます。一時間は瞬く間に過ぎ、座を立つ時は神清気爽、精力充実し精神が爽快になります。意根が思量した結果は明確な場合も曖昧な場合もありますが、以前より明らかになったという確信が生まれます。

明確な答えや結果が現れず、定慧等持の三昧が現れず我見が断たれない限り、満足いく結果が出るまでこの修行を続けます。この方法に基づき、次々と未明の法義を思量します。色蘊を思量し、受蘊を思量し、想蘊・行蘊を思量し、六根六塵六識を思量します。あらゆる法義をこのように思量することで、根本から疑惑を断ち三縛結を断除できます。

最初に坐禅する時、意根は経験がなく思量者の役割に入れません。役割に入っても何を思量すべきか分かりません。これには意識が意根を導き、思量の方向を示す必要があります。ただし過度に示さず、毎回ほんの少し曖昧に示すだけです。意根が専心して思量し始めれば、次第に明らかになり透徹してきます。出定後、意識は整理・帰納を行い、意根が思量した法義を全て再考します。これにより印象が深まり確信を得ます。

坐禅中のこのような修行は、歩行や日常動作中にも応用できます。ただしより困難で注意力が分散され、同効果を得るには時間を要しますが方法は同じです。意根の疑情が深まれば、行住坐臥全てにおいて専心修行できます。「なぜそうなのか」「どんな奥義があるのか」が自ずと分かり、法の来歴を究明すれば悟りを得ます。

——生如法師の開示
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