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日常法話

2022年12月17日    土曜日     第1開示 合計3784開示

瑜伽師地論 第三十四巻(六十七)

原文:またある一類の闇昧愚痴なる者あり。美しき睡眠の覆うところとなり、その心は滅したかに似て実は滅せず、この中に増上慢を起こし、現観なりと謂う。これはかくの如くにあらず。既にこの如き現観に趣く心を得たれば、まもなく正性離生に入るべし。即ちこの如き寂静心の位において、最後の一念の無分別心あり。ここより無間に、前に観じた諸聖諦の理に対して内作意を起こす。これ即ち世第一法と名づく。ここより以後、出世間の心生じ、世間心にあらず。これは世間の諸行における最後の界畔・边际なり。是の故に世第一法と名づく。

釈:またある一類の人は闇昧愚痴にして、香ばしい睡眠に覆われ、その心は滅したかに見えるが実は真に滅したわけではなく、そこで増上慢を生じ、これが現量観察であると思い込むが、実際はそうではない。この者が既にこのように現量観察へと向かう心を得た以上、まもなく正性離生に入るはずである。このように心が滅したかに見えて実は滅していない寂静心の位において、最後に一念の無分別心があり、その後は間断なく前段階で観じた四聖諦の理に対して内在的な作意が生じる。これを世第一法と呼ぶ。ここより以後、出世間の心が生じ、もはや世間心は存在しない。これは世間における諸行の最後の境界・限界である。故に世第一法と名づける。

この一節は極めて重要であり、悟りに至る直前の最終段階における心理状態と、悟り直前の最終修行方法を述べるとともに、世第一法と悟りの境地との差異相を明らかにしている。悟りに至る前、四加行位の最終段階である世第一法位にあり、この位において睡眠の蓋障が軽微となり、睡眠は非常に浅くかつ清明で、半ば眠り半ば覚めた状態にある。睡眠中も心は清明で昏昧ならず、身体は非常に安楽であるため、修道に対する障害が小さい。心は滅したかに見え分別が無いが、依然として分別性を有しており実際には滅しておらず、ただ了別作用が微細で有るか無いか判然としないだけである。そこで愚痴蒙昧の者は増上慢を生じ、自分は無心の境地を得て現量観察を具えたと思い込むが、実際はそうではない。

しかしながら現量観察から遠くはなく、引き続き精進すればまもなく生死を離れた正位(悟り)に証入する。すなわちこのような寂静心の位において、なお最後の一念の無分別心があり、この一念の無分別心を以て、ここより以後は間断なく以前に観行した四聖諦の理に対して内在的な作意が生じる。これを世間第一法と名づける。ここより以後は出世間の心が生じ、世間心は断滅する。これは世間における諸行の最後の出世間との境界・限界である。これを以て世間第一と呼ぶのである。

——生如法師の開示
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瑜伽師地論 第三十四巻(六十八)

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