衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
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日常開示

2022年11月15日    火曜日     第2 回の開示 合計3750回の開示

瑜伽師地論 第三十四巻(四十六)

原文:かくのごとき行者は、楽受に随順する諸行および楽受において、結縛行によって壊苦に趣入し、苦受に随順する諸行および苦受において、不可愛行によって苦苦に趣入し、不苦不楽受に随順する諸行および不苦不楽受において、不安隠行によって行苦に趣入す。かくのごとく結縛行・不可愛行・不安隠行の増上力によって、三受の中にこのように説く「すべての受はことごとく苦なり」と。これを名づけて、無常行作意を以て先と為し、苦行に趣入するとなす。

釈:かくのごときヨーガの行者は、楽受に随順する諸行および楽受において、結縛行を観察し、壊苦行を観察せんと入り、苦受に随順する諸行および苦受において、不可愛行を観察し、苦苦行を観察せんと入り、不苦不楽受に随順する諸行および不苦不楽受において、不安隠行を観察し、行苦を観察せんと入る。かくのごとく結縛行・不可愛行・不安隠行の増上作意力のゆえに、三種の受の中にこのような結論を得たり「すべての受はことごとく苦なり」と。これを由って無常行より作意を始め、苦行の観察に先に入らんとするためとなす。

——生如法師の開示
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