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日常開示

2022年05月17日    火曜日     第1 回の開示 合計3627回の開示

聞慧の特徴と修習過程

俱舎論疏第二十三巻 唐 法宝撰

原文:雑縁法念住には総じて四種あり。二三四五蘊を境とすること別なるが故に。唯だ総じて五蘊を縁とするを此の修とする。彼は此の中に住して四行相を修む。総じて一切の身受心法を観ずるに所謂る非常・苦・空・非我なり。然るに此の念住を修習する時には、余の善根有りて能く方便と為る。彼は応に次第に修して現前せしむべし。謂わく彼は已に熟修せり。雑縁法念住を。

釈:四念住中の法念住を修習する際には、更に身念住・受念住・心念住を交えて観じ、単に法念住を縁とするだけでなく、他の三念住も交えて縁じる必要がある。法念住の修習が対応する受・想・行・識蘊の四境界がそれぞれ異なるため、総じて色・受・想・行・識の五蘊を縁として法念住を観修する。行者は法念住を縁じつつ四行相(苦・空・無常・無我)を修習し、総体的に身・受・心・法の苦空無常無我を観行する。法念住修習時には、暖・頂・忍・世第一法などの他の善根が修証の方便となり、行者は次第にこれらを修め四善根を現前させるべきである。これら四善根が現前した時、行者は既に雑縁法念住を熟達したことを示す。

原文:将に此の念住を修習せんと欲する時は、先ず応に総じて無我行を修すべし。次に生滅を観じ、次に縁起を観ず。観行者が先ず諸行が因より生滅するを観ずれば、便ち因果相属の観門に於て、易く趣入するを得るが故なり。或いは先ず縁起を観ぜんと欲する有らんも、此の後三義の観を縁じて引き起こす。此の観は無間に七処善を修す。

釈:行者が法念住修習を開始する際、まず総体的に五蘊を縁として無我の行相を観じ、次に五蘊の生滅(無常行相)、更に五蘊の縁起(空行相)を観ずる。因果の相属関係から無我無常を観じることで、四聖諦理に容易に入るためである。或る方法では先に五蘊の縁起を観察し、その後で蘊・処・界の三法義に縁ずる観行を展開する。この観行法は七処善(色・受・想・行・識の五蘊に対し、苦・集・滅・道・味・患・出離を観察)を継続的に修習するものである。

原文:七処善に於て善巧を得たるが故に、能く先来の諸所見境に於て因果諦を立て、次第に観察す。此の如く智及び定を熟修すれば、便ち安立して現観諦に順ずることを能くす。謂わく欲界・上界の苦等各別なり。此の如き八諦に随って次第に観じ、未だ修せざりし十六行相を修す。彼は聞慧によりて八諦中に初めて此の如き十六行観を起こす。薄絹を隔てて衆色を見るが如し。此れに齊して聞慧円満と名づく。

釈:七処善修習によって因果諦理(五蘊の苦集滅道)を確立し、次第に観察できるようになる。この観行智と禅定を熟達すれば、四聖諦に順じる現観智が生じる。欲界・色界・無色界の苦諦等を各別に観じつつ、八諦(四聖諦×二界)に従って十六行相を修める。聞慧によって八諦中に十六行相の観察が初めて生じる段階は、薄絹越しに物を見る如きもので、ここまでが聞慧の完成とされる。

聞慧円満時、四念住と五蘊を観ずることは薄絹越しの視覚に似て、輪郭は認められるが未だ不明瞭である。聞慧以前は更に無明が厚く、思慧・修慧を経て無明が薄れ、証慧現前時に初めて無明が断たれ三結が滅する。

以上の論述に照らし、自己の聞慧修習の進捗を点検すべし。仮に聞慧が完成したとしても、それは修行の初期段階に過ぎず、証慧には程遠い。数年間修しても聞慧さえ完成しない場合は、不足点を検証し、精進を倍加すべきである。

回向文:当ネットプラットフォームにおける一切の弘法と共修の功徳を、法界の一切衆生に回向し、世界の民衆に回向いたします。世界の平和と戦争の消滅を祈願し、一切の災難の消退を念じます。各国人民の融和互助と慈心を願い、風雨順時・国家安泰を祈ります。一切衆生が因果を深く信じ、殺生を戒め、善縁を結び、仏法を信学して善根を増長し、苦を識り集を断ち、滅を慕い道を修め、悪趣の門を閉じ涅槃の路を開かんことを。仏教の興隆と正法久住を祈り、三界の火宅を極楽の蓮邦となさんことを。

——生如法師の開示
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