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日常法話

2022年03月05日    土曜日     第1開示 合計3579開示

瑜伽師地論十二因縁釈(六)

原文:無明の触によって生じる受について、それに相応する心中のすべての貪愛が、この心において繋縛から離れるがゆえに、貪愛は永遠に滅びる。現世において心の解脱を証得する。仮にその無明が永く断たれないならば、識などを依りどころとし、受を最後として、すべての諸行は後際に生ずべきである。無明が滅したゆえに、もはや再び生起せず、無生法を得る。

解釈:無明の触の後に生じる受に対し、それと相応する心に生起するすべての貪愛が、この相応する心において貪愛への繋縛から離れることにより、貪愛は永遠に断滅し、現世の法において心解脱を証得する。もし無明が永遠に断たれなければ、識を依りどころとして有る受が最後となり、受およびそれ以前の触・六入・名色などの諸行は後世に再生すべきである。無明が滅したがゆえに、これらの諸行はもはや生起せず、無生法を証得する。

原文:故に説かく、無明滅すれば行も滅す、と。次第に乃至、異熟生の触滅すれば故に異熟生の受も滅す。現世において無明滅するがゆえに無明の触も滅し、無明の触滅するがゆえに無明の触より生ずる受も滅し、無明の触より生ずる受滅するがゆえに愛も滅す。愛滅するがゆえに、先述の如く無生法を得る。これによりて説く、取などの煩悩を最後として、諸行は永遠に滅す、と。

解釈:従って無明が滅すれば行も滅し、行滅すれば識も滅し、識滅すれば異熟生の名色も滅し、異熟生の名色滅すれば異熟生の六入も滅し、異熟生の六入滅すれば異熟生の触も滅し、異熟生の触滅すれば異熟生の受も滅す。現世の法において無明が滅したがゆえに無明の触は滅し、無明の触が滅したがゆえに無明の触より生じる受は滅し、無明の触より生じる受が滅したがゆえに愛も滅し、愛が滅したがゆえに、前述のように無生法を証得する。これによりてこそ、取などの煩悩が生死輪廻の最後となり、諸法に執着せざる時に五蘊の一切の行は永遠に滅すと説かれるのである。

原文:かくの如く現世において諸行は転じず。転じざるがゆえに、現世において有余依の界に於いて現法涅槃を証得する。彼のその時には、ただ清浄なる識が名色を縁とし、名色が識を縁とするのみ残る。乃至識身が存在する限り、恒に繋縛を離れた受を受け、繋縛ある受を受けない。この識身は、先業によって引かれた寿量の限り、恒に相続して住する。

解釈:一切の行が滅した後、現世の法において一切の行は運転せず、行が運転しないがゆえに、現世の法においてなお余苦が依るべき世界(欲界・色界・無色界)にありながら、現世の法の涅槃、すなわち有余依涅槃を証得する。この人この時には、ただ清浄な阿頼耶識が名色を縁とし、名色が清浄な阿頼耶識を縁とするのみである。六識身が存在する限り、永遠に繋縛を離れた受覚を領納し、繋縛ある法の受を受けない。この六識身も前世の業によって引かれた寿命に従い、長く相続して住し滅しない。

原文:若し寿量尽きなば、便ち識の持つ身を捨つ。この命根の後、所有の命根は余すところなく永遠に滅し、再び熟することなし。またこの識は一切の受と共に任運に滅するがゆえに、残る因縁は先に既に滅したがゆえに、再び相続せず、永遠に滅して余すところなし。これを無余依涅槃界と名づく。究竟の寂静の処。また涅槃を趣求する者の、世尊の元に於いて梵行已に立ち、究竟涅槃せりと名づく。

解釈:もし寿命が尽きれば、六識の持つ色身を捨てる。この色身の後の後世のすべての色身は永遠に滅尽し再び現れず、再び生長することもない。この六識と一切の受が因縁の滅に随って任運に滅したがゆえに、残るすべての因縁である愛・取・有などは先に既に滅しており、相続して現れず、永遠に滅尽して遺余がなく、これを無余依涅槃界の最究竟の寂静の処と呼び、また涅槃を趣求する聖者が仏法において清浄な梵行を建立し、究竟涅槃したとも言う。

原文:かくの如く已に説く。三種の相によって縁起を建立することを。謂わく、前際より中際に生じ、中際より後際に生ず。また中際においては、若しは流転し若しは清浄なり。これを縁起の体性と名づく。

解釈:以上をもって、三種の相によって建立される縁起の体とは、前世の因縁によって現世の五蘊身が生じ、現世の因縁によって後世の五蘊身が出生すること、また現世においてはあるいは引き続き生死を流転し、あるいは究竟の清浄に向かうことをいうのであり、これが縁起の体性であることを述べ終えた。

回向文:我々のネットワークプラットフォームにおけるすべての弘法と共修の功徳を以て、法界の衆生に回向し、世界の民衆に回向する。世界平和を祈願し、戦争起こらず、烽火興らず、干戈永遠に止むことを。一切の災難、ことごとく消退せんことを。各国の人民が団結し助け合い、慈心をもって相い向かい合うことを祈願する。風雨順調に、国泰く民安んぜんことを。一切衆生が因果を深く信じ、慈心をもって殺生せず、善縁を広く結び、善業を広く修め、仏を信じ学び、善根を増長し、苦を知り集を断ち、滅を慕い道を修め、悪趣の門を閉じ、涅槃の路を開かんことを。仏教の永き興隆、正法の永き住持を祈願し、三界の火宅を極楽の蓮邦となさんことを。

——生如法師の開示
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