衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2021年11月27日    土曜日     第1 回の開示 合計3548回の開示

禅宗不立文字とはどういう意味ですか?

禅宗はまた宗門とも呼ばれ、仏法の宗は真実の心である如来蔵であり、禅宗とは禅に参じて如来蔵を証悟する法門である。如来蔵には言葉や文字、音声はないが、禅を参ずる過程全体も言葉や文字を用いない。言葉や文字で伝えられるものは真実の心ではないため、禅を参ずる際には伝法者と受法者の言葉や文字、音声は無用となり、全ての書籍や理論も役に立たなくなる。参禅者の心も言葉を念じ続けたり、くどくどと喋ったり、うめき声を上げたりする必要がなく、対比可能な外縁の参照物から切り離される。

こうなると広々とした空や情感に満ちた解釈を展開することはできず、比量や非量を尽くして思いのままに発揮することも叶わない。意識が働く余地がなくなり、ひたすら意根の現量による思索と探究に頼るしかない。苦労はするが、徹夜で眠れぬ夜も、豊かな成果を得て内心の意根が持つ潜在能力と智慧を掘り起こすことができる。一旦自らの宝蔵を発掘すれば、その後は自由で豊かな日々を送ることができ、再び流浪して苦しい日々を乞食しながら過ごす必要はなくなる。

この境地に至ると、外界の文字も内心の文字も役に立たず、力を発揮できなくなる。自らの智慧のみに依拠することで、初めて自らが本来持つ大智慧を開発できる。推理も分析も整理も帰納も分解も統合も推測も想像も比較も教量も理論も知識も学問も、全て用をなさなくなり、意識は休息し、忙しく働く必要がなくなる。この時、責任ある禅師は経典を遠ざけ、読経や書物を禁じ、違反者には戒尺で懲らしめるよう命じる。参禅が決定的な段階に達した時、打たれることは絶対的な好事である。言葉や文字が役立たなくても、打たれることは可能で、打たれる瞬間にも言葉や思考は存在せず、ただ意根の灵感を触発するのである。

師匠が棒を与える時、もし意識が活発に活動すれば、即座に「これがそうかもしれない」と思考分析するが、結果は「誤り」となる。意識が再び「真妄和合、これは間違いない」と分析推論しても、結果は依然として「誤り」である。更に消去法を用いて「これは眼識でなく、耳識・鼻識・身識でもなく、意識や意根でもない。きっと第八識だ」と推測しても、最終結果はやはり「誤り」となる。意識を動かそうとする限り、如何なる方法でも「誤り」という一字に帰着する。三度の誤りの後、依然として悟らなければ、禅師はあなたを禅堂から追い出し、場合によっては禅院や禅寺からも追放する。あなたはまだ道器ではなく、禅を参ずる資格がないからである。もちろん、資格を備えた禅師は無闇に棒を振るうことはなく、必ず参禅者の心理状態を見極め、最も適切な機会に棒を与える。これを「当機一棒」と呼び、一切の塵境と情怀を捨て去り、現量において塵境でも情怀でもないものを認識させるのである。

過去の祖師方は常に「偷心死なざれば道を悟ること能わず、賊心死なざれば道を悟ること能わず」と説かれた。偷心と賊心は何を指すのか。何を偷めば悟道できないのか。誰が偷むのか。何を偷んだのか。禅を参ずる際、如何にして偷心を除去するか。参禅時の偷心とは、便宜的な心、近道しようとする心、他から得た知識理論をそのまま実証や自証として扱おうとする心と言える。意根自らが証得したものでないため、意識が便宜的に持ち込んだものを「偷」と呼ぶ。過去、真実の証量を持つ祖師方の説法を形容して「これらの法は全て自らの心の奥底から取り出したもの」と表現した。これは祖師方の説く法が全て自ら実証したものであり、自身の智慧の結晶であり、意識が他から持ってきた既存の理論知識や、学んだ理論を整理・加工して自らのものに見せかけたものではないことを意味する。このようなものは悟道とは見なされず、悟道を遅らせる。

自心現量とは何か。自らの胸襟から取り出したものを自心現量と呼ぶ。胸襟や心の奥底とは深層の意根の主を指す。これに対し、意識が苦労せず解き明かしたもの、戒定慧や三十七道品を修することなく得たもの、学んだ理論知識や他人の見解を参考に推測したものは、ほぼ無償で得たものに等しい。意識のこのような働きはほぼ偷盗に近く、偷心が死なない限り、意根は思量参究できず、証道することはできない。意識が大量の法を学んでも、本質的には全て偷盗に属する。胸襟からのものでなく、自家のものでないからである。全て他処の法であり、耳から入り口から出る法や、その場限りの法は、自家の宝蔵ではない。

回向文:私たちのネットワークプラットフォームにおける全ての弘法と共修の功徳を、法界のすべての衆生に回向いたします。世界の民衆に回向し、世界平和と戦争のない世を祈願します。烽火が起こらず、武器が永久に休むことを。あらゆる災害がことごとく消退することを。各国の人民が団結し助け合い、慈しみの心をもって接することを祈ります。風雨順調で国が泰平で民が安らかであるように。すべての衆生が因果を深く信じ、慈しみの心で殺生をせず、善き縁を広く結び、善き業を広く修め、仏を信じ学び、善根を増長し、苦を知り集を断ち、滅を慕い道を修め、悪趣の門を閉じ涅槃への道を開くことを。仏教が永遠に栄え、正法が永住し、三界の火宅を極楽の蓮華の国に変えることを祈願いたします。

——生如法師の開示
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