仏は金剛経の中で、仏は無所得によって仏となり、一法も得られずに仏となる。もし一法を得られると思えば仏になれない。なぜこう言うのか?仏は大智慧、無上智慧によって仏となり、仏の智慧はどのように得られたのか?仏は凡夫から修行を始め、三大阿僧祇劫を経て、全ての無明を徐々に破尽。各々の無明を破除すると、各々の明が現れ、心の闇が消失一部份,一部份の光明が現れる。この光明は智慧。全ての無明が滅尽すると、一切種智が現れる。故仏の無上智慧、無等等智慧は獲得されたものでなく、得られたものでなく、無明を滅尽して明が現れたもの。つまり仏は何法を得られたものではなく、一法も得られず、全ての遮障を除去し、心の光明が自然に現れる。だから各々学仏修行の目的は無明を破除,而非何かを得る。有所得の心は無明、遮障,智慧は現れない。
真の正信には現量観察の智慧が必要。否则信は偏信や盲信に流れ易い。仏経さえ、真に智慧ある人も疑を存し、実際に証验する方法を考え。況して非仏所说?
ネット上には不少人、六祖は仏の再来と言い、所说の法は仏の证量あり、六祖は仏を修成した。真に這些人何を根拠に如此定论六祖を知らない。某人を大学教授级别に認定するには、その大学教授の水平より高く必要、最起码水平相当でなければ认证を与えない。今末法众生は仏を修成したように、仏の智慧で六祖が仏成し、仏の证量具备。六祖壇経は薄薄冊子、估计这些人无一看懂。否则谁敢下此定论。
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