衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2019年01月27日    日曜日     第3開示 合計1210開示

一心不乱に専念すれば真理と事実を発見することができます

多くの心理学者をはじめとする社会人は仏教を信じ学んではいないが、意識と潜在意識をはっきり区別できる。一方、私たちのように唯識を学ぶ者は、両者の区別すらつけられず、まことに恥ずかしく思います。唯識学者、唯識の専門家と呼ばれる人々の観察力、思考力、智慧が、禅定や般若唯識の智慧を持たない心理学者にすら及ばないのであれば、何をもって唯識の専門家、学者と言えるでしょうか。なぜこのような状況が生じるのか理解できません。

甲:私の理解では、ある種の学者、芸術家、研究者は、常に研究に没頭して日夜考え続けるため、自然に集中力が強まり、気づかぬうちにサマーディ(三昧)の状態に入ることが多い。それゆえ微細な観察が可能となるのです。

乙:その通りです。彼らには禅定がありますが、それは意図的に修得したものではなく、非常に大きな興味や関心から生まれたものです。彼らは宗教的な枠組みに固執せず、宗教的な是非善悪にもこだわりません。むしろ多くの宗教徒が自らを制限し、思考概念の世界に生きているのを私は見てきました。これらの学者は研究や探求に対して情熱と責任感を持っているため、一つのことに専念でき、他の人や事柄には興味を示さず、真理や事実を発見できるのです。

——生如法師の開示
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無所得のみが成仏できる

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