身体を最も微細な細胞の構成に観察すれば、細胞内には様々な粒子が存在し、その粒子は四大微粒子によって構成されています。四大微粒子は如来蔵における四大種子から成り、この四大種子は形も相もなく、如来蔵より生じるものです。如来蔵が四大種子を放出し微粒子を形成し、その微粒子が再び集合して最も微小な物質となり、さらに比較的大きな物質へと凝集し、肉眼で見えるようになります。その後次第に凝集を重ねて最初の色身を形成し、最終的に色身が完成すると母胎を出るのです。ここから分かるように、色身は空であり、生滅するものであり、無我であり、如来蔵より生じたものであり、如来蔵によって保持されるもので、全ては如来蔵の本性に他なりません。この身体もまた如来蔵の種子の機能作用が転化したものであり、如来蔵の一部の機能であり、如来蔵の属性であって、色身自体の属性や自性は存在しないのです。これらの観行は容易であるようでいて、相応する定力が不足している場合、意根が着力できず、自ら深細な観行と思量に参与することができなければ、この理を証得することは叶いません。定力なき意根はこれを認可し認証することができず、身見と我見を断つことも、如来蔵を証得することもできないのです。
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