衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2018年02月09日    金曜日     第1 回の開示 合計1回の開示

睡眠と禅定の違い

睡眠と禅定の区別 いわゆる禅定とは、心の念が集中して散乱せず、六根を収め、一つの境に縁し、雑然と攀縁しない状態を指す。眼識の意識が一つの色塵に専注し他の塵境を遮断するか、あるいは耳識の意識が一つの声塵に専注し他の塵境を遮断するか、あるいは意識が一つの法塵に専注し他の塵境を遮断する。これら六識の専注は意識を主とし、意根が一切の法を統括する。意根が雑然と攀縁せず少数の法塵にのみ縁する時、六識は一境に専注できる。意根は主導する識であり、六識は全て意根の指示に従うため、意根を降伏させて初めて修定に効果が現れる。

いわゆる睡眠とは、六つの識が一時的に断滅して現れず、こうして身心の疲労が解消される状態を指す。もし六識が滅せず識心が活動を継続すれば、覚醒時と同様であり睡眠とは言えない。その場合、身心は真の休息を得られず、身体の疲労感は依然として残る。

睡眠は有夢と無夢の二種に分かれる。無夢の睡眠時には六識が現起せず、第八識と第七識のみが崗位を守り色身の生命活動を維持する。有夢の際には意識心が夢境において軽微な分別活動に参与するため、睡眠は深沈ではなく身体は充分な休息を得られず、翌日に疲労感が生じる。

禅定と睡眠の二状態において、共に第七識と第八識の運行が存在する。禅定中の第七識は既に効果的に降伏されており、攀縁が減少している。攀縁が少なく軽微になるほど意識の入定は深まる。睡眠中の第七識は依然として身根と法塵に攀縁し、身体が休息を必要とすることを知覚するだけで六識が分別を現起させないようにするに過ぎない。

初禅以前の定中には六つの識が六塵を分別するが、その程度は異なり、識心の専一性も異なり、身心の感受も異なる。初禅においては鼻識と舌識が現起せず、二禅以上の禅定では前五識が消失し、第六識・第七識・第八識のみが残り、意識は比較的深細な定境において定境の法塵を了別する。無想定と滅尽定においては意識も滅尽し、第七識と第八識のみが残存する。

——生如法師の開示
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