衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2018年02月11日    日曜日     第6 回の開示 合計23回の開示

見分と相分の本質はともに如来蔵である

見分は識の体性であり、また識の作用でもある。自証分は識の体性であり、また識の功用でもある。さらに証自証分に至っても、識の体性であり、識の功用である。識の種子は清浄であり、形成された識も清浄である。しかし識の作用は清浄ではなく、心所法が補助的に運行に関与するため、心所法が清浄でない故に、識の機能も清浄ではない。ただしこれらの功用にも不浄相は存在せず、その本質は全て如来蔵であり、全体が如来蔵性である。黄金で作られた便器のように、相は黄金の相であり、本質は黄金、性質は金性である。七識の本質は如来蔵であり、その性用は如来蔵性であるから、不浄という説は存在しない。これが万法の最も了義たる内包であり、了義中の了義、これ以上了義化の余地はない。一般の根性の者には理解し難いのは当然であり、その場合は虚妄の相に即して説く。相には不浄相が存在する。相分には色法相・心法相・非色非心法相を含む。心法相の本質は如来蔵性であり清浄である。同様に色法相と非色非心法相も如来蔵より出生し顕現したもので、本質は同じく如来蔵性であり清浄である。ただし虚妄相における不浄性を妨げるものではない。

——生如法師の開示
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