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日常法話

2018年02月15日    木曜日     第4開示 合計51開示

幻化不実の因縁果報

果報は正報と依報に分けられます。正報は五陰身であり、依報は宇宙器世間の生存環境です。因果の実現は主に五陰身を通じて行われ、果報は五陰身に報いられ、五陰身が正報です。一方、生存環境は依報であり、これも衆生の因縁果報を体現しています。五陰は幻化であり、十八界は幻化であり、私たちが生きる宇宙・器世界は幻化であり、生存環境は幻化であり、果報因果はすなわち幻化で実体のないものです。

私たちのあらゆる果報がこれらの虚妄の法から現れている以上、果報そのものが虚妄です。例えば受ける善報や悪報は、財産を得るにせよ、病気になるにせよ、災難に遭うにせよ、すべてこれらの虚妄の法において報いを受けるのではないでしょうか。これらの虚妄の法が虚妄であるなら、果報も虚妄ではないでしょうか。もちろん全て虚妄です。あらゆる果報は、結局五陰身に現れるに過ぎません。五陰身が虚妄であるなら、果報も虚妄です。そしてこれらの果報は生滅変化するものであり、すなわち無常であり、無常であるものは虚妄です。したがって、一切の因果も幻化であり、一切の法は幻化であり、如来蔵を除いて全てが幻化によって現れ出たものです。

例えば貧窮の果報、六根不具の果報、そしてあらゆる災難など、これらの果報は幻化ではないでしょうか。全て幻化であり、如来蔵が業種と様々な因縁に基づいて幻化し現し出したもので、実体ある法は一つもありません。

また例えば善報を得て、昇進したり財産を得たり、あるいは親族が団聚したり、財・色・名誉・飲食・睡眠など様々な善報は、どこに報いられるのでしょうか。全て五陰身に報いられ、五陰身を通じて現れ出ます。五陰身が幻化で実体なく虚妄であるなら、これらの果報はなおさら虚ろで幻化した実体なきものであり、真実の法ではないのです。

さらに例えば善報として、今世で世間の王となったり、天に昇って天主となったりする場合、王や天主の玉座は幻化ではないでしょうか。生活する宇宙・器世間・宮殿は幻化ではないでしょうか。錦衣玉食は幻化ではないでしょうか。あなたに仕える全ての僕・大臣・役人・側近たち、これらは皆幻化ではないでしょうか。触れる一切のもの、これらは全て善の果報に属しますが、これらの果報はどこから来るのでしょうか。如来蔵が業種と因縁に基づいて幻化し現し出したものです。したがって王や天主となる善報は幻化であり実体がありません。また例えば殺害されることや交通事故で死亡するといった果報は、これらの果報は全て五陰が受けます。五陰はなぜ殺されるのか。あるいはなぜ牢獄に投じられるのか。なぜそれほどの財産や親族を失うのか。これらは全て悪報に属しますが、これらの悪報はどこから来るのでしょうか。全て如来蔵が業種と様々な因縁に基づいて幻化し現し出した仮の相であり、全て五陰身に現れ出ているのです。

悪報を受けると、その覚受は苦受となりますが、この苦受は識心の受ではないでしょうか。識心の覚受はどこから来るのでしょうか。如来蔵が幻化し現し出したものです。一切の法は善報であれ悪報であれ、全て如来蔵によって幻化し現し出されたものです。如来蔵がなければ一切の法は存在しません。幻化したものである以上、生滅し実体なく変化し空なるものであり、それゆえ私でも真実でも私の所有でもない、これを無我と呼びます。如来蔵に基づいて言えば、全ては真実でない法であるため、全てが空幻の法なのです。

——生如法師の開示
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