衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
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日常開示

2018年02月18日    日曜日     第6 回の開示 合計72回の開示

薬物麻醉時、何が起こったか

問:麻酔薬を使用した後、浮塵根に問題が生じると、如来蔵は外相分を了別できなくなり、勝義根において触塵を顕現させることができず、人は痛みを感じなくなります。如来蔵が外相分の六塵を了別するには、正常な浮塵根に縁る必要があります。浮塵根を離れて了別される根身器は相分ではなく種子であるという認識は正しいでしょうか。

答:如来蔵は常に外六塵に接触し、これを了別します。浮塵根の正常・異常や存在の有無に関わらずです。浮塵根が正常でない場合、如来蔵は浮塵根を通じて五塵の微粒子を伝達するか、あるいは正常に伝達できず五塵が歪んで現れます。浮塵根がなくとも、如来蔵は依然として外六塵を了別します。如来蔵が接触・了別する浮塵根は全て相分であり種子ではありません。種子は種子位にあり、如来蔵の中にあって形相を持たず、形相あるものは種子ではないのです。

麻酔薬は勝義根の中枢神経系あるいは部分的な伝達神経を麻痺させ、識心が生起して痛覚を感知しないようにするものです。如来蔵は正死位を除き、常に外五塵を摂取し、何ものもこれを妨げることはできません。

全身麻酔の場合、五根が全て機能を失えば如来蔵は六塵を了別・伝達できず、意根は希望を捨て色身を離れ、再び転生を考えることになります。実際、身体が麻酔状態にあっても血液は凝固せず流動し、呼吸は続き、心臓は鼓動を止めず、人は生存しています。如来蔵は五根を通じて五塵を了別・顕現させ、色身の生命活動を維持するのです。血液・心拍・呼吸は全て六塵の境に属し、如来蔵がこれを執持・顕現している限り、六塵を了別できます。意根はこれに依って了別し、自身が生存し身体が機能していることを知るのです。
麻酔は神経を麻痺させ、正常な信号伝達を阻害するか、微弱で歪んだ神経信号を伝達させるものです。完全に伝達が停止すれば、意根は何も了別できず恐慌を起こし、希望を失って色身を離れ死に至ります。

全身深麻酔時、人の前六識は滅し、無夢睡眠の如き状態となります。六識の現起には意根と法塵が縁となる必要がありますが、この時意根は正常で意識の生起を欲しています。問題は六塵側にあり、麻酔薬は勝義根である脳部に直接作用します。如来蔵は外相分を了別できますが、内五塵と法塵は完全に現起せず、識心の生起を保証できない部分的な現起に留まります。昏睡から覚醒する時、麻酔薬が中枢神経系への作用を失い、如来蔵が伝達神経を通じて六塵の微粒子を勝義根に伝達し、内六塵が正常に現起して意識が生じ、五識が現れることで人は覚醒するのです。

如来蔵が身根を了別するのは種子のみならず、本質境である外六塵をも了別します。意根も如来蔵の見分に縁り、自らの見性によって身根の了別を行い、身根の使用可否を知るのです。麻酔薬の効果は通常長続きせず、この期間中に減少した六塵の内相分が残っていれば、意根は捨報を決断せず、身根の使用可能性を知り五陰身への希望を抱きます。しかし薬効が長過ぎれば、意根は確信を失い誤った決断で身根を放棄することもあります。

麻酔昏睡時、中枢神経系は六塵の相分を正常に伝達できず、勝義根内の六塵は微弱で不完全です。しかし暗黒も色であり、静寂も声ですから、勝義根内に内六塵が全く存在しないことはあり得ません。盲人が暗黒を見るのも見であり、聾者が静寂を聴くのも声なのです。昏睡中も六塵は存在し、意根は覚醒を試みます。その根拠は六塵の了別にあり、微弱ながらも性境が存在すれば、意根は昏睡継続を望まず覚醒を図るのです。

麻酔昏睡時、如来蔵は異常な勝義根に依って異常な法塵を顕現させます。昏睡から覚醒した者が夢のような境界を報告する例は、内六塵が完全に消失しておらず独影境が現起していたことを示し、この場合意根は色身を放棄せず、衆生は死を免れるのです。

一般的な麻酔は触覚神経を麻痺させ、身体の特定部位の痛覚を遮断するものです。この痛覚が勝義根に伝達されなければ、身識と意識はその痛みを感知しません。重度の麻酔は死を招く場合もあり、麻酔範囲が広過ぎて浮塵根に影響し、血液循環や酸素供給が阻害され、心拍が徐々に停止すれば、五陰は機能を停止し、意根がこれを了別して色身を離れ死に至るのです。

——生如法師の開示
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