衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2018年02月18日    日曜日     第3 回の開示 合計69回の開示

隔陰の迷いと道業の増進

問:隔陰の謎によって、前世ですでに悟りを開いていたとしても、今世で改めて悟りを直す必要があるということは、修行にやや退歩があると理解してもよいのでしょうか。特に無明の状態で多くの業を造作してしまう点が気がかります。

答:宿命通を得ていない限り、たとえ今世で悟りを開いても、来世ではそれを覚えていません。来世の初期には必ずしも仏法を信じ理解できるとは限りませんが、今世に培った善根と福徳力によって、来世で因縁が熟した時に再び仏門に入り修行することができます。そして来世の修行は今世よりも速やかに進み、ある期間修行を重ねれば同様に明心して悟りを開くことができ、こうして今世の修行と連続性が生まれます。その場合、仏教修行において他者の指導を必要とせず、自ら今世の修行方法に沿って再び悟りを開くことが可能です。善知識の導きがなくとも誤った道に進むことはなく、修行の次元は前世との連続性を保つだけでなく、前世の修証レベルを超えることさえできるのです。

今世で修行の速度が極めて速く、根性が鋭い人々を見かけた場合、その前世における修行の基盤が深く、土台が堅固であったため、今世の深い智慧が成就されたのだと疑う必要はありません。今生で修行が極めて緩慢な人々は、前世で仏法を学ぶ基盤が整わず、仏法の薫修が十分でなかったため、長く修行しても効果が現れず、むしろ邪道に入り誤った見解を薫習しながら自覚すらできない場合があります。また前世で仏法を誤って修行し、道を誤った人々は、今生でも前世の慣性に従って同じ過ちを繰り返し、悔い改めることを知りません。ですから、正しく仏法を修行し、悟りを証得していれば、隔陰の迷いを恐れる必要はなく、今世で多くの善根を培い、福徳を積めば、来世の道業は速やかに向上するのです。

——生如法師の開示
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