衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2018年02月20日    火曜日     第6開示 合計82開示

前七識放逸の現れ

現代人は世俗に執着しすぎるため、常に世の中の全てが良く見え、全てを好むようになります。このような人々の心には決して厭世観が生じず、出離心を起こすことは極めて困難です。彼らは世の苦しみや暗い面を見ず、ただ虚妄の享楽的な面だけを見ています。これは世俗への愛着が極めて強いためです。人の心が俗世に染まっているか離れているかは、その言葉遣いから明らかに表れますが、本人は自覚がなく、内省する力もなく、心は覚醒していません。

世俗への執着により、六根六識が放逸になります。眼識の放逸は色を随意に見ることであり、耳識の放逸は声を随意に聞くこと、鼻識の放逸は香を好み臭いを嫌うこと、舌識の放逸は美味を貪ること、身識の放逸は快適さを求めること、意識の放逸は散乱・昏沈・掉挙であり、意根の放逸はあらゆるものに攀縁し執着することです。阿罗汉たちの六根は決して放逸せず、決して見回したり聞き回ったりせず、意識も雑念に乱されません。

常に飲食を好み美味を求める者は舌識と意識の共同放逸であり、香りを好む者は鼻識と意識の共同放逸です。良い衣服を着て快適な寝床を求める者は身識と意識の共同放逸であり、過去を回想し未来に攀縁する者は意識心の放逸です。万事に攀縁する者は意根の放逸です。

我々の第八識に学びましょう。それは何も好まず、常に定中にあり、貪る時も瞋る時もなく、痴もなく、我見もなく、また主宰せず、縁に随って日を過ごし、また過ごす日もありません。七識がこのようであれば、成仏に余裕があります。

——生如法師の開示
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七識の無始の無明と染汚性

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