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日常法話

2018年03月04日    日曜日     第3開示 合計142開示

六識の生起および心所法

六根が六塵に触れることにより、六識が生じます。六根と六塵を合わせて十二入と呼びます。六根とは勝義根を指し、後頭部に位置します。五つの勝義根に意根を加えたものが六根であり、内六入とも称されます。六塵とは内五塵に法処所摂色を加えたものであり、内六塵、あるいは外六入とも呼ばれます。内六入と外六入を合わせて十二入と言います。この中で根と塵は必ず一体であり、内五塵は後頭部の勝義根において出生します。第八識は五塵に依ってさらに法処所摂色を現起し、意根と接触します。根と塵が一体であることで初めて接触が可能となり、接触後に第八識が六識を生起させるのです。

根塵が相触れるとは、根と塵が必ず一体であることを意味します。具体的には、五つの勝義根が後頭部に位置するため、五塵も後頭部の勝義根において顕現・出生します。内五塵は勝義根のある後頭部で必ず生じるため、根と塵は一体となり接触するのです。この接触が起こると、第八識は五識を生起させると同時に、法塵も後頭部の勝義根において意根と接触し五識を生じさせます。意識も必ず生起し、五識と同時に六塵を分別します。これを五俱意識と言います。

六根が六塵に触れることで六識が生起します。六識が生起した後、三者が再び和合して接触すると、今度は六識が六塵に触れて六塵を了別します。根と塵は常に接触し続けており、もし根と塵が接触しなければ六識は滅することになります。その後、六識が再び六塵に触れ、六塵に触れた後には領納性(六塵を受け容れ領受する性質)が生じます。六塵を受け容れた後、六識は六塵を了別し、六塵を執取します。これにより想心所が現れます。

六塵を了別した後、六識は思量を開始します。思量が不明瞭な場合、再び作意を起こし、六塵に対して新たに作意を生起します。作意の後、再び了別と感受が行われます。この時の感受には苦・楽・憂・喜・捨の受覚が生じます。最初の受は領納・受容であり、受容した後は六塵を取り込んだことに相当し、その後でどのような六塵であるかを認識します。この受容は取り込むことを意味します。その後の受には情緒的な色彩が現れ、苦楽憂喜捨の感受が生じます。

感受が生じた後、もし感受が不明瞭であれば、再び取相了別(形相を捉えて分別する)を行い、想心所が再び生起します。想心所が生起し相を了別すると、思量が開始されます。思量が不明瞭な場合は再び接触を繰り返し、触れた後、再び了別するか、あるいは再び想うか、あるいは引き続き感受します。このように了別・感受した後に再び思量し、最終的にその事柄を明確に思量し、明白に了別すると、六識は想決定心(分別し決定する心)を生じ、造作(行為)を開始しようとします。

六識が了別した内容は意根にも伝達されます。意根は同時に六識が了別した六塵の境界に対して、五遍行心所法(作意・触・受・想・思)の運行を生起させ、一連の心理活動を出生させます。最終的に意根が決定心を生起し、如何に造作するかを決定する時、第八識がそれを了別すると、意根の思量決定性とその作意に基づいて運行に協力します。第八識は意根が何に作意し、どの方面の法塵に作意しているかを知る必要があるためです。それを知った後、第八識はその法塵において六識を現起させることができます。六識が現起した後、身口意行(身体・言語・意思による行為)の造作が開始され、身口意行が現れます。

もし意根の思量がなお不明瞭であれば、意根は引き続き接触し、作意し、感受し、了別し、最終的に再び思量して決定を下します。決定する前は、この五遍行心所が行きつ戻りつ運行を続けています。その順序は必ずしも作意→触→受→想→思の順序とは限らず、逆転することもあります。触が先行し了別が後続することもあれば、触が先行し感受が先行し了別が感受の後になることもあります。あるいは了別の後に感受が生じ、感受と了別がなお不明瞭であれば、再び前の思量に戻ることもあります。思量がなお不明瞭であれば、再び接触し、感受し、了別します。

どの心所が先行するかは必ずしも一定ではなく、ここでの順序は乱れます。最初は作意であり、作意は必ず種子位(潜在状態)にあります。種子位において対応する法塵に対して作意が生起すると、識種子が生じ、その法塵の位置において意根が法塵と接触します。どの法塵に作意するかによって、種子はその法塵上に生じ、識心を形成します。その法塵と接触するのは、先に作意があり、後に種子が生じ、種子が現れて識心が生じた後で初めて法塵に触れることが可能です。

接触した後は領納(受け容れること)が行われ、領納の後は取相了別(形相を捉えて分別すること)が行われ、了別の後は思量が行われます。思量が不明瞭であれば再び接触し、接触後に領受感受が生じるか、あるいはその時点で再び作意し、その後で了別性が生じます。さらに接触があれば再び了別性が生じます。ここで後続する心所の順序は乱れますが、最初の順序は作意→触→受→想→思という順序であり、心所法の運行はこのようなものです。

——生如法師の開示
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