七覚分の最初は念覚分である。内なる念覚分は意根の念であり、外なる念覚分は意識の念である。意根に念覚分が存在しない時、念覚分は成就せず、択法覚分も現前することができない。故に意根には必ず念心所が存在する。小乗経典にも意根の念心所が暗示的に説かれており、まして大乗経典においてはなおさらである。ただ衆生の無明が重く、仏典を理解できず、弁別することができないだけなのです。
2
+1