衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2018年03月15日    木曜日     第5 回の開示 合計208回の開示

大念処経における内なる七覚支と外なる七覚支

大念住経において、世尊が五取蘊について説かれた際、色受想行識の内法と外法についても言及されました。内色とは色身を指し、外色は六塵を指します。内受想行識は意根に属し、外受想行識は意識に属します。

世尊が七覚分を説かれた時、七覚分を内七覚分と外七覚分に分類されました。択法覚分・精進覚分・喜覚分・軽安覚分・定覚分・捨覚分は、いずれも意識に属する外覚分と意根に属する内覚分に分けられます。内七覚分を修めていない段階では、小乗の果を証得することは不可能であり、我見を断つことすら叶わず、ましてや明心見性など論外です。三十七道品が成就されない限り、大小乗の果位について語る資格はなく、身心の軽安が成就せず、定も成就せず、内なる捨受が存在しなければ、我見を断除することも明心見性もできません。これは仏法修証の絶対条件であり、いかなる者もこれを超越することはできません。仮に誰かが証果や明心を主張しても、それは単なる造花果実のようなもので、観賞するだけの価値はあれ、実用性のない空虚なものです。

世尊が七覚分について述べられた内容から、意根には択法覚分・真精進たる精進覚分・喜覚分(意根は単に捨受に留まらない)・軽安覚分・定と相応する定覚分・捨覚分が備わっていることが分かります。その後、心の働きが八正道に適って初めて、小乗の証果条件を具足し、我見を断じて初果を証得できるのです。さもなくば全ては偽りの造花果実に過ぎません。条件が整わず、因縁が熟さないまま強引に導こうとしても、得られるのは虚構の結果だけです。日々目にすることはできても、実用に耐える価値は存在しないのです。

——生如法師の開示
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