問:定力を早く修得するために、落日の写真を観るという方法は良いでしょうか。
答:二年前に、落日の観方についてお話ししました。あの落日の方法は主に、自ら西方の空に沈む落日を観ることです。虚空に太鼓のように吊るされた金紅色の太陽を観た後、目を閉じて自ら目撃した落日を思い出し追想するのです。こうすれば記憶が鮮明で、観想の効果は最も良く、観想を修めるのも比較的容易です。何しろ実際に見たことに基づいており、空想のように難しいものではありません。実はこれらの観行方法はどれも似たようなもので、どれがより習得しやすいか、どの方法が自分に適しているかだけの違いです。
どの方法を使っても、一つの方法で定力を修得し、はっきりと現量で観行できればそれで良いのです。観行が意根に落ち着き、意根が専注して思量できれば、あなたは修行に成功したと言えます。意根を専注して思量できるようになれば、どの法に出会っても意根で思量し、意根に法を証させることができ、そうすれば皆が大智慧三昧を得られ、修める法に対して円融無礙となるのです。
華厳経の善財童子の五十三参では、善知識一人を参訪するごとにその教えを受けた後、三昧定の中で参究しました。これらは全て意根が専注して思量するもので、意識による理解ではなく、定慧等持の三昧を証得し、最後には等覚菩薩の位に至りました。善財童子は多くの理論を学ぶ時間を費やさず、理論に専念して豊富な知識を得ようとはせず、一つの法を求めれば禅定三昧の中でそれを証明し参究し、最後に定慧等持の深甚な三昧を得たのです。定にも慧にも偏らず、これによって初めて実証でき、これが最も究極の実証なのです。ですから私たちも修行ではできるだけ定慧等持の状態を保ち、慧に偏ることもなく、定に偏ることもなく、一つの方法を身につけたら定の中で参究すべきです。ひたすら理論を学ぶだけでは、禅定もなかなか修まらず、全ての理論が消化吸収されず心に詰まって慢心を増長させるだけです。
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