衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2018年04月04日    水曜日     第1開示 合計299開示

世間と出世間、いずれが最も多忙か

世間・出世間の一切の法は、第八識によって顕現され保持されているものであり、一切の法には第八識の参与があり、第八識は一切の法に遍く、一切の蘊・処・界に遍く、あらゆる時と場所に遍在する。世間・出世間で最も多忙なのは言うまでもなく第八識である。しかし、それは決して多忙さを感じることはない。なぜなら、その無為性・プログラム化された・法爾如是の運営方式は、一切の法に対する捨心であり、苦も感じなければ楽も感じず、一切の法に対して感覚がなく、覚受がなく、完全に無心であるため、決して疲労を覚えることがないからである。

世間法において、次に多忙なのは第七識である。第七識は第八識に依り、第八識が変起した一切の法を縁とし、一切の法を黙って容受する。したがって、一切の法には第七識の運営がある。第七識は一切の法に対して遍計所執性を起こし、一切の法を普遍的に計度し執着することができるが、第七識もまた捨受であり、決して多忙さや疲労を感じることはない。もしそうでなければ、休息をとるであろう。もし第七識が休息すると、第八識は運営できず、万法は休廃するが、このような事態は一度も起こったことがない。ただし、阿羅漢や辟支仏たちの第七識は例外であり、彼らの第七識はすでに三界世間法に倦み、もはや世間法を顧みず貪執しないため、入滅を選択し、五陰が消失し、万法が休廃する。したがって、第七識は睡眠中、死亡時、昏迷時、入定中も常に多忙に活動しており、第七識と第六識を比較すると、やはり第七識が最も多忙である。

第七識は世間法において非常に多忙で決して休息しないが、第八識が関わる多忙な事柄の多くには、第七識は参与できない。例えば、第八識は三界世間法を顕現すること、宇宙器世間を顕現することに参与するが、第七識は推進作用を果たすのみで、具体的に四大種子を如何に輸送するか、身根器界を如何に変現するかについては、第七識は知らず理解もできず、参与もできない。第八識が業種を了別し輸送することにも、第七識は参与できない。第八識が七大種子を輸送することにも、第七識は覚知がなく参与もできない。したがって、第八識が最も多忙であるが、ただ疲れず、感覚がなく、何の代償も払わず、自らがどれほどの貢献をしたかも知らない。実際、第七識も決して多忙さを知らず、疲労も感じない。もしそうであれば、少しでも法への執着を減らして休息や入滅を選べるはずである。しかし第七識は六識の疲労や身体の疲労を知覚でき、身体と六識を自己と見做すため、身体と六識を休ませる決断をするのである。

次に多忙なのは意識であるが、第六識は断滅する場合が多く、多くの法の運行には第六識が関与していない。第六識は六塵中の法塵上でのみ運行し、独頭意識は法塵独影境を独りで多忙に処理するだけでなく、五俱意識は五識と共に活動し、さらに第七識に情報を伝達し、助手や参謀を務める責任がある。部隊において、参謀が情報収集に忙しく、軍情や敵我の状況を分析し、最終的に収集・分析した情報を全て指揮官に提出し、指揮官が戦うか否か、如何に戦うかを決定するようなものである。参謀は意識に相当し、意根は指揮官に相当する。もちろん、指揮官もこの過程で指揮に忙しいが、忙しさの形態が異なるだけである。具体的に情報収集を行うのは五識であり、これらは勤務兵に相当し、見張りや偵察を担当する。第六識は分析と総合を担当し、指揮官に適切な助言を提供する。六識の仕事は比較的具体性が高いため、苦楽や疲労を感じ、時折休息を必要とする。しかし第八識は永遠に休息せず、いかなる状況に遭遇しても、たとえ第七識が三界世間を放棄する選択をしたとしても、第八識はそれに従って滅することはない。

——生如法師の開示
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六識は意根の配下と参謀

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