衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2021年05月02日    日曜日     第2 回の開示 合計3366回の開示

末法の時代における意根と意識の区別を理解する重要性

現代の人は禅定を修めず、修められず、口先ばかりで、二、三冊の本を読み、意識で表面的に理解しただけで悟ったと思い込み、解悟ですらなく証悟だと称する。それゆえ末法の衆生に意根と意識の区別を理解させ、大衆に解悟と証悟の違いを知らしめ、衆生が大妄語を避ける必要がある。

末法の混乱は甚だしく、衆生の情執は深重である。口では「法に依り人に依らず」と唱えつつ、実際には逆を行っている。もし衆生が理法にかなって修行し、真に法に依り人に依らず、スローガンを減らし実践を重んじ、仏の教え通りに実践できれば、仏も安堵されよう。仏に背かず教えに従い奉行することこそ、仏恩に報いることになる。

情執を少しでも制すれば、真実が垣間見える。道業を重んじ、情執を優先すべからず。情執では人を救えず、各人の業は各人が受け、代わりは務まらぬ。心を広く保ち、精力を充実させ、仏教を重んじ、衆生の生死を重んずべし。まず仏陀の恩恵を理解し、仏陀に報いる道を模索すべきである。言行で仏陀を悲しませてはならない。如来蔵は刹那毎に種子を蓄え、我々が話し行動する身口意の全てを監督記録している。故に如来蔵を畏敬し、因果を畏れねばならない。口先だけの高言ではなく、実践あるのみである。

——生如法師の開示
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