依他起を知らなければ、どうして遍計所執性を破れるだろうか。すなわち依他起を知って、次第に執著しなくなる。真実の相を知れば、執著の性は次第に力を失う。依他起を証得して、次第に深く思惟観察し、すべての依他起性は戯論であると知れば、もはや沾染せず、執著の性はますます軽くなり、最後には残りなく消え尽きる。断我見(ahaṃkāra-mamakāra-parityāga)以後の観照もなお重要である。意根は依他起性を証得していないために、すべての法を真実不生滅のものとして遍く計度執著する。真実と執して信じるからこそ、主となって善と不善の身口意行を造作し、業種を残し、後世に果報を受けるのである。それゆえ生死が絶えないのである。
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