福徳は供養と布施 (dāna) から来る
転輪王はすでに無量の諸仏に親近して、ようやくこの福を修えたのです。私たちはほんの小さなことさえできず、福を修めたことがなく、金銀財宝といったものについては、思い通りにならず、頭を悩ませても無駄で、現れることもありません。福徳を修めていなければ、たとえ大学生や博士であっても、この世で一生奮闘しても、やはり成功しません。能力は十分に備わっていても、福報がなければ、自分の必要とするものを得ることができません。福を修めた人は、たとえ字が読めなくても、大富大貴になれるものです。昔、多くの詩人が詩句の中で、自分の才が世に用いられないことを嘆いていました。なぜでしょうか。才華だけでは役に立たず、必ず福報がなければならないからです。私たちが今生で得るすべてのものは、前世で修めてきたものです。大きな福徳を自分のために用いたいなら、絶えず福を修めなければなりません。すべての福徳は天から降ってくるものではなく、ことごとく他人を利益する福を修めることから来るのです。とりわけ大乗仏法の中で多く福を修め、大乗三宝に多く供養し布施 (dāna) しなければなりません。
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