衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2018年05月28日    月曜日     第5開示 合計554開示

初地菩薩の境界

私たちが一切の事物を知り得る心を能知と呼びますが、この能知性は、阿頼耶識 (Ālayavijñāna) がなければ、そもそも存在しません。所知、すなわち私たちが知っている六塵万法も、阿頼耶識がなければ現前して現れることはなく、私たちは六塵の境界を了知することもできません。能知は七識心であり、所知は知られる六塵の境界であり、この二者はともに阿頼耶識が生み出したものです。それゆえ阿頼耶識は所知依と称され、私たちは阿頼耶識に依拠してはじめて能知と所知があり、生き生きとした五陰 (pañca-skandha) 世間の存在があるのです。

六根は阿頼耶識が生んだものであり、六塵は阿頼耶識が変じたものであり、六識もまた阿頼耶識が生んだものです。衆生の仮我である五陰十八界の全体は、すべて阿頼耶識が変生し執持しているものであって、五陰自身に何ら関わりがあるわけではありません。すべて阿頼耶識自身が一切を自在に転じさせているのであり、すべて魔術師が自分で戯れているのであり、一つの幻影、また一つの幻影と変現しているのです。この観行 (vipaśyanā-caryā) を完全に観到し、この理を深く細やかに現観できたなら、それはすでに初地に達しています。その後は、一人ひとりの衆生が自分の前にやって来ても、見えるのはすべて幻影であり、実質のある衆生はいません。父母が目の前にいても、真実の父母はなく、家族親族が目の前にいても、真実の家族親族はなく、我なく、人なく、衆生なく、寿者なく、実質のある一切の法は存在しないのです。

三界の世間は静まり返り、からっぽに広がっていて、すべて阿頼耶識という魔術師が一切を舞い弄しているのであり、すべて阿頼耶識という絵師が墨をふり撒き、彩り豊かな五陰世間を描き出しているのです。

解脱般若唯識七群への参加を歓迎します  238324425

——生如法師の開示
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