世尊が浄飯王を導き諭されること
原文:大王よ。このように心に念ずべきである。私はどうしたら、人天の中で眼目となり得ようか。長夜の中で光明となり得ようか。愛河の中で船筏となり得ようか。険難の処で導師となり得ようか。依り所なき者に主宰となり、自らが度を済ませた後、さらに他を度し、自らが解脱した後、他を解脱させ、自らが安穏を得た後、他を安穏にし、自らが涅槃を証した後、さらに他をして証得せしめるべきである。大王よ、彼らが現在世間で享受する富楽や五欲の自在、諸根が幻の如く、境界が夢の如き有様を見るべきではない。色境や声・香・味・触に対し、貪着の心を起こして飽くことを知らぬ状態を指すのである。
釈:仏は言われた:大王よ、あなたは心に常にこのような心掛けを持つべきです。人天の中で衆生の眼目となり、生死の長夜において衆生の大いなる光明となり、衆生を導いて航路を定めるにはどうすべきか。三界の生死愛河の中で衆生の船筏となり、衆生を引き連れて愛河を渡すにはどうすべきか。生死の険難の処で衆生の導師となり、衆生を危険の地から導き出すにはどうすべきか。依り所なき者に主宰となり、衆生の心に拠り所を与えるにはどうすべきか。まず自らが度を済ませてから他を度し、自らが解脱してから他を解脱させ、自らが安穏を得てから他を安穏にし、自らが涅槃を証してから他をして涅槃を証得させるにはどうすべきか。大王よ、あなたは現世における富貴や快楽、財色名食睡の自在だけを見てはなりません。六根はすべて幻の如く、全ての境界は夢の如きものであり、色声香味触に貪着の心を起こして満足を知ってはなりません。
この言葉は世尊が浄飯王に心を込めて諭されたもので、父君に大菩提心を発起させ、大誓願を立てて生死を超越し、自利利他を成就し、速やかに大涅槃を証得させるためのものです。人天の眼目となることを誓い、彼らを解脱へと導くのです。衆生は眼を開いておらず、生死輪廻の中で迷妄に陥っています。もし導きを得れば、再び迷うことなく邪見の迷路から脱し、光明へと向かうでしょう。菩薩がこの願いを発する時、いつかこの境地に至るのでしょうか。人天の眼目となり得る者は、少なくとも初地の菩薩です。初地の菩薩は人天の師となり、人々の導師、天人の導師として、衆生を成仏の道へと導きます。人天の師とは衆生の眼目であり、菩薩が初地の果位を証得して如来の家に入る時、仏法を初歩的に通達します。仏法を通達してこそ、はじめて衆生を導いて修行させ、衆生の眼目となることができるのです。
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