問:座禅観行中に退屈で無意味に感じる時、どう対処すればよいですか?
答:座中観行が退屈で無意味に感じられるのは、意根の習気が現前しているためです。意根は世間法に執着し、活発な五蘊の活動を好み、世間法を愛し、賑やかなものを好み、有所得を求め、寂莫無為を好まず、束縛されることを嫌います。この時は四念処観の利益を思惟し、修行の目的を考え、四念処経の結びに説かれる修行の成果を見ることで、消極的な情緒を和らげることができます。意根の習気は降伏し難いので、子供に対するように慈愛と威厳をもって接する必要があります。普段から世間の無常と苦を深く思惟し、無始劫以来の業障と煩悩を懺悔し、大いなる発心と長遠心、出離心を起こし、願力の導きに依って不断に道業を増進させなければなりません。
呼吸を観ずる利益は何ですか?世間法における利益は、身体の健康を増進し、心を清浄にし、寿命を延ばし、身心を快適自在にし、心情を愉悦ならしめ、心を柔和にし、煩悩を降伏させ、品徳を高め、思惟力を向上させ、心を緻密にし、智慧を増長させることです。人の生命は呼吸の間にあり、呼び吸いがあってこそ生命は存在します。呼吸が止まれば、生命は忽然と消滅します。呼吸は生命を表し、呼吸を観ずることで、あらゆる生命がいかに脆弱で、頼りなく、無常で、苦に満ちたものであるかを観じることができます。呼吸に依存して存在する五陰が真の私と言えるでしょうか?このように観じ続けることで、我見は薄れ、我執は弱まり、煩悩は減少し、我見を断じ解脱の果を分証する可能性が生じます。
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