衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2021年04月19日    月曜日     第2開示 合計3322開示

四念処観行問題解答10

<h2 style="text-indent: 2em;">問:座禅の観行の中で無聊(つまらなさ)や無意味さを感じた場合、どう対処すればよいですか?</h2>

答:座中の観行で無聊で無意味だと感じるなら、それは意根の習気が現前したのです。意根は世間法を貪着し、生き生きとした五蘊の活動を好み、世間法を好み、賑やかさを好み、何かを得ることを好み、寂滅無為を好まず、束縛されることを好みません。このときは、四念処の観行の益について思惟し、修行の目的について思惟し、四念処経の結末に説かれている修行の結果を見てみると、消極的な感情がいくらか解消されるでしょう。意根の習気は降伏し難いものであり、子供に接するように神様に接し、恩威を併用しなければなりません。平素から世間の無常と苦について多く思惟し、無始劫以来の業障と煩悩を懺悔し、大心・長遠心・出離心を発し、願力の牽引に依拠して、道業を絶えず増進していくべきです。

呼吸を観ずる益とは何でしょうか。世間法上の利益としては、身体健康を増進でき、心地を清浄 (viśuddha/pariśuddha)にでき、寿命を延長でき、身心を舒适自在(快適で自在)にでき、心情を愉悦と快楽にでき、心意を柔軟にし、煩悩を降伏し、修養と品徳を高めることができ、思惟力を高め、心思を細密にし、智慧を増長することもできます。人の生命はただ呼吸の間にあります。呼気と吸気があってこそ生命があり、呼気も吸気もなければ、生命はたちどころに終わります。呼吸は生命を表します。呼吸を観行すれば、それぞれの生命がどれほど脆弱で、どれほど頼りにならず、どれほど無常で、どれほど苦であるかを観行することができます。呼吸に依拠して存在する五陰 (pañca-skandha)が果たして私でしょうか。このように観ずることを繰り返せば、我見 (ātma-dṛṣṭi)は軽微になり、我執は弱まり、煩悩は低下し、断我見 (ahaṃkāra-mamakāra-parityāga)によって分証の解脱果を得ることが可能になるのです。

——生如法師の開示
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