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日常法話

2018年06月22日    金曜日     第3開示 合計665開示

第六識はいかにして如来蔵の証得と見なされるか(一)

第六識には見分けがあります。これは第六識の知性、覚性を指し、見分けは一切の法を感知し、了知することができます。これらの法には色法と心法が含まれます。第六識の相分とは、第六識が知覚し得る対象、覚知し得る対象であり、第六識によって覚知・観察され得る法は全て第六識の相分となります。第六識が知覚・認識する対象には、六塵(色・声・香・味・触・法)と七識の心法及び心所法が含まれます。これに加えて、第六識は如来蔵及び心所法をも覚知することが可能ですが、それは第六識が如来蔵を見出し証得した後に限られます。如来蔵を証得するとは、すなわち明心して悟りを開くことを意味します。

第六識が般若の智慧を具える時、如来蔵を証知し、覚悟し、見出し、証得し、観察することが可能です。その場合、如来蔵は第六識の相分となり得ます。しかし如来蔵そのものには形や相がなく、色彩もないため、眼識に認識させたり、耳識に聞かせたり、鼻識に感知させることはできず、ただ第六識のみが如来蔵の運行する様相を覚察・悟知し、その運行する法相において如来蔵を証得するのです。

如来蔵の運行する法相もまた形なく相ないものですが、第六識はこれを覚知し、領悟することができます。第六識が如来蔵及びその働きを覚知するには多くの前提条件があり、これらの条件が具わらなければ、第六識は如来蔵を感知できず、如来蔵の働きを覚知することはできません。それらの菩薩の条件が具わった後、第六識はどのように如来蔵の働きを覚知するのでしょうか。いかにして如来蔵を証得し、見出したと言えるのでしょうか。

如来蔵を証得し見出すということは、眼識がその色彩や色相を見ることにあらず、耳識が如来蔵の声を聞くことにもあらず、なぜなら如来蔵には色彩も形相も音声もないからです。しかし如来蔵には運行の法則があり、無始劫より絶え間なく働き続けているため、その「相」が意識心によって了別され得、形も相もない法相も識別され得るのです。つまり如来蔵には運行する行相、運行する法相が存在するということです。

——生如法師の開示
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