衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2018年07月14日    土曜日     第1開示 合計737開示

修行して証果を得ることは、金銭では測ることのできない無価の宝である

衆生が四果を証得し、倶解脱の大阿羅漢となることは、決して簡単なことではありません。一般の人にとっては初果を証得すること自体がすでに喜ばしい成就であり、三悪道の業を免れ、永遠に三悪道に行かなくて済むのです。このような成果のためには、世間のすべてを捧げたとしても、非常に非常に価値のあることです。もし金銭でこのような果報と交換するならば、無量億をもってしても換えられず、これは無価の宝です。

地獄・三悪道の衆生にとっては、地球のすべての資産を所有していたとしても、人身を換えられるとは限りません。人が無始劫以来の執著を、一生の時間で滅することは、飛行機に乗るのと同じようなものであり、飛行機でもそれほど速くはありません。世間の貪執を断除した三果・四果の人は、学仏以前には、世間の中で生活していると、世間のすべてがどうしても受け入れられず、時には非常に苦悩を感じ、自分の行動や振る舞いもあちこちで普通の衆生と異なり、まるで異類の分子のようで、なぜそうなるのか理解できないことがよくありました。学仏して初めて、自分が人とは違う特別な存在であったことがわかるのです。もし人が常にあらゆる場面で、身口意行が他の人と何ら変わりがなく、衆生が貪瞋痴なら自分も同じく貪瞋痴であり、衆生の煩悩がどれほど重いか、自分の煩悩も同じく重いのであれば、この人が今世で初果を証得することも難しく、四果は言うまでもありません。

——生如法師の開示
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