意根が多くの境界に直面する際、選択性を有するのは、即ちその思量択択性によるものです。何に基づいて選択を行うのでしょうか。当然、自らに有利なものに従って選択し、識別性を有し、法の重要度を了知します。意根は異なる法に対し、執着性が異なります。何故異なるのでしょうか。それは自らに有利な法、重要な法を知っているからです。
種子は意根に執着を強制できません。例えば阿羅漢の意根が執着を断った後、世俗法に興味を示さず、種子が全て流注しても、依然として見ず聴かず想わず、念想も向往もありません。意根が何故ある法を意識に了別させるのか。やはり意根に意向と興味があるため、如来蔵がこれに応じて意識を出生させ、その法を重点的かつ詳細に了別させるのです。
衆生が以下の状況下では、躯殻のみ存在し分別がありません:
一、夢のない睡眠時、意根は色身の休息を必要と知り、攀縁する対象もないため、六識は現起しません。
二、胎児期、完全な五浮塵根と勝義根がなく、六入を形成できず、第八識が内相分を変現せず、意根が色塵に触れないため、領納了別できません。故に前六識は生起し得ません。
三、昏迷時、脳の勝義根が損傷し、六入が勝義根に入れず、六識生起の因縁が具足しません。
四、無想定中、勝義根は健全ですが、意根が色声香味触法を深細に了別することを欲せず、故に六識は生起しません。
五、滅尽定中、意根の受心所と想心所が共に滅し、意根が六塵を攀縁しないため、六識による六塵の領納がありません。
意根が存在する限り、作意を有し、六塵境界に対し作意します。昏迷中や無想定中にも作意があり、第八識が身根に対しても作意するため、昏迷から覚醒し、定から出ることが可能です。そうでなければ覚醒できず、無想定や滅尽定からも出られません。
夜中に眠り込んだ際、突然地震が発生すれば、意根も逃げようとします。何故逃げられないのでしょうか。六識が迅速に生起できず、意根は焦るのみです。魘鬼が身体を押さえつける時、意根が離脱しても、何故身体が動かないのでしょうか。魘状態では覚醒を望んでも覚醒できず、心臓部の重苦しさを感じつつも動けません。六識が極めて微弱で、魘鬼に対抗する力が不足しているためです。
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