衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

生如法师のウェブサイトロゴ

日常開示

2018年07月20日    金曜日     第2 回の開示 合計756回の開示

衆生が分別意識を起こさないいくつかの場合

意根が多くの境界に直面する際には選択性があり、それがすなわち思量択択性である。何に基づいて選択するのか?もちろん自らに有利なものに従って選択し、識別性を有し、法の重要度を了知する。意根は異なる法に対する執着性が異なるが、なぜ異なるのか?それは何が自らに有利で重要な法かを知っているからである。

種子は意根に執着を強制できず、例えば阿羅漢の意根が執着を断った後、世俗法に興味を持たず、種子が流注しても見ず聞かず想わず、念想も向往もない。意根が特定の法を意識に了別させるのはなぜか?やはり意根に意向と興味があるため、如来蔵がそれに応じて意識を出生させ、重点的かつ詳細にそれらの法を了別させるのである。

衆生が以下の状況下では躯殻のみ存在し分別がない:

一、睡眠中に夢がない時、意根は色身が休息を必要と知り、攀縁する対象がないため六識が現起しない。

二、胎児期には五浮塵根と勝義根が未完成で六入を形成できず、第八識が内相分を顕現せず、意根が色塵に触れないため領納了別できない。故に前六識は生起しない。

三、昏迷時には大脳勝義根が損傷し、六入が勝義根に入れず六識生起の因縁が具足しない。

四、無想定では勝義根が健全でも、意根が色声香味触法を深細に了別する意欲がなく六識が生起しない。

五、滅尽定では意根の受心所と想心所が滅し、意根が六塵を攀縁しないため六識による六塵領納がない。

意根が存在する限り作意があり、六塵境界に作意する。昏迷中や無想定でも作意が存在し、第八識による身根への作意に依存するため、昏迷から覚醒し定から出ることが可能である。そうでなければ覚醒も無想定・滅尽定からの脱出もできない。

夜中に眠っている時突然地震が発生しても、意根は逃げようとするがなぜ動けないのか?六識が迅速に生起できず、意根は焦るのみである。魘鬼が身体を押さえつける時、意根が離脱しても身体が動かないのはなぜか?魘鬼に憑かれている時も覚醒を望むが覚醒できず、心臓が重苦しいと知りつつ動けない。六識が微弱で魘鬼に対抗する力が不足しているためである。

——生如法師の開示
前の記事前の記事

四大禅病

次の記事 次の記事

衆生は騙されても忠告には耳を貸さない

ページのトップへ戻る