衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2018年09月15日    土曜日     第1開示 合計826開示

意識による意根への導引と薫染は、必ずしもすべて利益の考慮によるものではない

<h2 style="text-indent: 2em;">問:有漏の凡夫の意根は、了別慧が低いはずで、主に自己への我欲、我執を主とする習気がありますが、優れた分析判断力はありません。いわゆる決定とは、意識から自分にとって有利、不利などの分析を伝えられ、決定的な方向の選択をすることであり、意根の作用は主に方向の選択なのでしょうか?</h2>

答:意根の体性、功能作用は数多くあり、非常に重要です。神様には五遍行心所法(作意・触・受・想・思)がありますので、意根にも独自の思量 (manasikāra/manana) 性、独自の了別性があり、また神様自身の独自の分析判断力もあります。時にはその了別と判断が非常に敏捷で、非常に速くて正確なことがあり、軽視したり無視したりしてはなりません。意識による意根への導きは、自分自身に利益があるか否かという局限の中に完全にあるわけではなく、その範囲はかなり広範です。

たとえば断我見 (ahaṃkāra-mamakāra-parityāga) の観行 (vipaśyanā-caryā) では、意識は五蘊の虚妄を観行し、五蘊がいかに虚妄であるか、空であるか、無我であるか、いかに苦であるかを分析し思惟します。道理を思惟して明らかに理解し、事実が数多く現前するほど、意根への熏染が強くなり、意根はますます承認しやすくなります。また参禅や各種の観行なども、自分にとって利か不利かには関わりませんが、いずれも意根を熏染し、意根を変化させ、意根に承認させ、それによって智慧を獲得することができるのです。

——生如法師の開示
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