衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2018年09月25日    火曜日     第3 回の開示 合計849回の開示

不断なる薫習を通じて無我の認知を形成する

人が生まれた後、生活の中で様々な常識的な認知過程を形成していくことは、我見を断つ過程と相似しています。この相似性に鑑み、我見を断つ際には、常識形成の累積過程を参照し、同様の方法で五陰無我の理を観行し、最終的に五陰無我を心底から認知する常識とすることで、我見を断ち切り、解脱の道から退転しない境地に至ることができます。

人が生まれ、意識が無知の状態から世俗界の一切法を知り、人間社会のあらゆる規則を理解するに至るまでが、常識的認知を形成する過程です。まず意識が生活上の人事物理に触れ、法則を理解します。その後、観察と実践を通じてこれらの法則を確認し、意根の常識を形成します。意識で思考しなくても習慣的にこれらの法則に従い、意根に不可侵の思想観念が確立されます。新しい法則が旧来の法則を打破するに至って初めて、観念が更新され、常識が変化し、意根の習慣も変化するのです。

最初の無知状態はもちろん意識ですが、次第に意識が日常生活に熏習され、日常知識に触れて学ぶにつれ、これらの知識の学習過程で常識を絶えず検証・証明していきます。こうして意根が理解し自証するに至り、知識が常識となり、意識で思考しなくても自然に常識に適う習慣的認知が形成されます。

例えば子供は火の概念や機能を知らず、大人から繰り返し教えられ(多くは強制的に記憶させられ)、その後大人の火の使い方を観察し、自ら火を使うことを学ぶことで、火の作用と危険性を知ります。使用過程において初めて火の特性を証得し検証するのです。実際に観察する前は、意識でのみ知り、意根は火の特性や危険性を知らないため、時々火遊びをします。事故が起きた時、初めて意根が火の特性を自証し、恐怖を覚えて安易に火遊びをしなくなり、身口意の行いが変化します。

炊事も同様です。最初は包丁の用途や特性を知らず、米の研ぎ方や鍋への入れ方も分かりませんが、繰り返し見て学び、自ら実践することで次第に炊事ができるようになり、意識で特別に考えなくても意根が熟練して操作できる常識的経験を身につけます。前半は意識による学習と熏習、後半は意根が熏習を受けて実証し、実証後は習慣と常識が形成され、特に考えなくても慣れた手順で炊事ができるようになります。

子供が歩行や会話から一切法を認知するに至るまで、全てこの学習過程を経て常識を形成し、習慣化され、以前の無知を改め、身口意の行いが変化します。この全ての学習過程、常識形成の過程において、意識と意根の双方が経験を積み、無知の状態を変化させなければなりません。もし意根が前世以来ずっと知っていた常識であれば、意識が改めて学習する必要なく自然にでき、例えば生まれながらに授乳し、泣き、痛みを知り、飽暖を覚えるなどします。

これらの世俗法の熏習過程から、五陰無我の理を熏習する方法を学び取ることができます。無我の認知を形成し、無我を常識とすれば、我執の習気は徐々に断じ尽くされ、解脱を得ることができるでしょう。

——生如法師の開示
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