衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常開示

2021年03月06日    土曜日     第3 回の開示 合計3161回の開示

修道断惑の理

阿毘達磨倶舎論第二十三巻の原文:応知此の中に於いて、下下品の道の勢力は、上上品の障を断ずる能う。是の如く乃至上上品の道の勢力は、下下品の障を断ずる能う。上上品等の諸の能治の徳は、初め未だ有らず。此の徳有る時に、上上品等の失已に無し。衣を浣ぐ位の如く、粗き垢は先ず除かる。後後時に於いて漸く細き垢を除く。又粗き闇の如く、小さき明は能く滅す。要ず以て大なる明を以て方に細き闇を滅す。 

釈:修行者は知るべきなり。下下品の道の勢力は上上品の煩悩障を断除し、上上品の道の勢力もまた下下品の煩悩障を断ずることを。上上品が対治する徳は、修行を始めた当初は未だ現れず、一旦現れた時には上上品の過失は既に無く、上上品の思惑は断たれたのである。例えて言えば衣類を洗濯する時、比較的粗い汚れを先に除去し、その後次第に細かな汚れを除くが如し。また粗大な闇は小さな光明で滅し得るが、微細な闇は大いなる光明をもって初めて滅し得、細やかな闇が滅して初めて透徹した光明に至るのである。 

原文:失徳相対の理も亦た然るべし。白法の力強く黒法の力劣るが故に。刹那の頃劣れる道現行する時、無始時来展転して増益せる上品の諸惑を、能く頓断せしむ。久時に亘りて集めたる衆病の如く、少量の良薬を服すれば能く頓愈せしむ。又長時に亘りて集めたる大闇は、一刹那の頃小さき燈火にて能く滅す。

釈:過失と功徳が相対する理もまた同様である。善法の力が強く悪法の力が劣弱であるが故に、刹那の間に劣れる道が現前する時、衆生が無始劫以来増長させ続けた上品の貪瞋痴煩悩を頓断することができる。長い年月をかけて蓄積した病が少量の良薬で頓愈するが如く、また永劫にわたって凝集した大いなる闇が一瞬の小さな燈火で消滅するが如し。 

煩悩過失を対治する道こそが徳、即ち修行によって発する功徳である。修行の功徳は戒定慧の三学を含み、これら三者は不可欠である。戒も定と同様に下中上品に分かれ、慧もまた下中上品に分かたれる。戒律を心に保つことにより効果的な制約を得、心の散乱を防ぎ、これに禅定の修行が加わることで三昧が現前する。禅定を得るに従い、四聖諦の理や大乗の教えが心に沁透し融通無礙となり、智慧が顕現する。戒律を厳守すればするほど禅定は深まり、禅定が深まれば法義は心に徹し、義理は融通し、煩悩は軽減され、功徳は増大する。故に持戒は徳、禅定は徳、智慧は徳であり、この徳は功徳であると同時に福徳でもあり、この徳によって後世善道に生を受ける。徳はまた根器、即ち道を載せる根本の器であり、徳あれば道あり、道あれば解脱を得る。 

道と徳が合わさって道德となり、徳高く名望重き者は、敢えて宣伝せずともその徳が自然に感応を招く。譬えば花香は自然に蝶を引き寄せるが如し。道徳を備えた者を下品の者が動かそうとすれば、因果の理が許さず、直ちに損害を被る。大いに動かせば大いなる損をなし、小さく動かせば小さき損を招く。現世における花報、後世の果報は避けるべからず、その道德の崇高さによる。譬えば国王の尊位は重く、これを辱めれば牢獄に繋がれ首を斬られ、九族に及ぶ刑罰さえあるが如く、その威勢の盛んなるが故なり。

——生如法師の開示
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