(二十八)原文:復次。是の十二支縁起。幾つかの支は実有なるや。九つと謂う。幾つかの支は非実有なるや。余りと謂う。幾つかの一事を自性と為すや。五つと謂う。幾つかの非一事を自性と為すや。余りと謂う。
釈:復次、十二縁起支の中に幾つかの支は実有なるや。九つの支は実有なり、即ち:行支・識支・名色支・六入支・触支・受支・愛支・取支・有支なり。幾つかの支は実有ならざるや。残る三支は実有ならず、即ち:無明支・生支・老死支なり。実有の意味は実際の機能作用を有することを指し、非実有の意味は実際の機能作用なく、単に名称のみなることを指す。
原文:幾つかは所知障の因となるや。一つと謂う。幾つかは苦を生ずるや。五つと謂う。幾つかは苦の胎蔵となるや。五つと謂う。幾つかは唯苦なるや。二つと謂う。
釈:幾つかの支は所知障の因となるや。一つの支、即ち無明支なり。幾つかの支は苦を生ずるや。五つの支は苦を生じ、即ち識・名色・受・生・老死支なり。幾つかの支は苦の胎蔵となるや。五つの支、即ち識・名色・受・生・老死支なり。胎蔵の意味は含蔵・覆護・育成・執持・出生を指す。幾つかの支は唯苦なるや。二つの支、即ち生と老死支なり。
原文:幾つかを因分と説くや。前六と謂う。無明より触に至る。及び愛・取・有。三つを因分と説く。幾つかを果分と説くや。後の二つを果分と説く。
釈:幾つかの支を他支の因分と説くや。前六支は他支を引生する因分なり、即ち無明・行・識・名色・六入・触なり。愛・取・有の三支も因分と説かれ、生と老死の因なり。幾つかの支を果分と説くや。後の二支を果分と説く、即ち生と老死なり。
因分とは後続の諸法を出生せしむる支分を指し、引生の義を有し、また種子を存するものなり。此の因無くんば後続の諸法は出生せず。最大の因にして根本の因は無明支、次に行支、次に識支、然る後に果報体が現れ、その後も果報体上に不断に造作し、再び後世の果を出生する因となる。果分とは前支を引生の因縁として、最終の果実を結ぶ支分を指す。生死は最大の果実にして果報なり、五陰身もまた此の如し。
原文:幾つかを雑因果分と説くや。余りの支を雑分と説く。所以は如何。二種の受有り、雑分と名づく。一には後法を謂う。触を縁として因となる受。二には現法を謂う。愛を縁として果となる受。此の二つを雑説して触縁受と為す。
釈:幾つかの支を因分と果分が混在したものと説くや。前六支・中間三支・後二支を除き、余りは皆因と果が混在した支分なり、即ち受支なり。何故かと言えば、受に二種有り、雑染分と名づく。一は後有の法、触を縁として因となり後に現れる受。二は現法の受、愛を縁として果を引生する受。此の二つを合わせて触縁受と説く。受は後続の愛を出生する因であると同時に、触を縁として出生する果でもあり、因かつ果なる故に雑分と称す。
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