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日常開示

2021年02月10日    水曜日     第1 回の開示 合計3081回の開示

瑜伽師地論 第十巻(十二因縁)

(二十八)原文:復次。この十二支縁起において、幾つの支が実有か。九つという。幾つの支が非実有か。残りという。幾つが一事を自性とするか。五つという。幾つが非一事を自性とするか。残りという。 

釈:復次に、十二縁起支の中で実有である支は幾つか。九支が実有である。すなわち行支・識支・名色支・六入支・触支・受支・愛支・取支・有支である。非実有は幾つか。残る三支(無明支・生支・老死支)が非実有である。実有とは実際の機能作用を有することを指し、非実有とは実質的な機能作用がなく、単に名称のみ存在することを意味する。

原文:幾つが所知障の因か。一つという。幾つが苦を生むか。五つという。幾つが苦の胎蔵か。五つという。幾つが唯苦か。二つという。

釈:所知障の因となる支は幾つか。一つの支、無明支である。苦を生じさせる支は幾つか。五支(識・名色・受・生・老死)が苦を生む。苦の胎蔵となる支は幾つか。五支(識・名色・受・生・老死)である。胎蔵とは含蔵・覆護・育成・執持・出生の意である。唯苦である支は幾つか。二支(生・老死)が唯苦である。

原文:幾つが因分と説かれるか。前六(無明より触まで)及び愛・取・有の三つが因分と説かれる。幾つが果分と説かれるか。後二つが果分と説かれる。 

釈:因分とされる支は幾つか。前六支(無明・行・識・名色・六入・触)が他支を引生する因分である。愛・取・有の三支も因分とされ、生・老死の因となる。果分とされる支は幾つか。後二支(生・老死)が果分である。

因分とは後続の法を生起させる支分を指し、引生の義があり種子を保持する。この因がなければ後続の法は生じない。最大の因は無明支、次に行支、さらに識支が続き、果報体が現れた後も不断に造作が行われ、来世の果を生む因となる。果分とは前支を因縁として結実した支分を指す。生老病死は最大の果報であり、五陰身もまた然り。

原文:幾つが雑因果分と説かれるか。残りの支が雑分と説かれる。何故か。二種の受があり、これを雑分と名付ける。一つは後法において触を縁とする因受、二つは現法において愛を縁とする果受。この二つが雑説されて触縁受となる。

釈:雑因果分とされる支は幾つか。前六支・中間三支・後二支を除く残り(受支)が因と果が混在する支分である。何故か。受には二種あり、後有の法における触縁を因とする受と、現法における愛縁を果とする受が存在する。この両者が混在して触縁受と説かれる。受は後続の愛を生む因であると同時に触を縁とする果でもあり、因果混在を以て雑分と称される。

——生如法師の開示
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