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日常開示

2021年02月07日    日曜日     第3 回の開示 合計3071回の開示

瑜伽師地論第十巻(十二因縁)

(二十五)原文:問。何等の無明有らざるが故に行有らず。何等の無明滅するが故に行滅するや。答。三種の起こす纏・随眠・無明有り。此の無明滅するが故に彼の無明滅す。彼滅するが故に行も亦随って滅す。

釈:問:いかなる無明が存在しないため、行が存在しなくなるのか。いかなる無明が滅するため、行が滅するのか。答:三種の無明(纏縛・随眠・無明)が生起を発する。これら無明が滅すれば十二支の無明も滅し、無明が滅する故に行も随って滅する。

原文:問。何等の行有らざるが故に識有らず。何等の行滅するが故に識滅するや。答。諸行自らの相続中に於いて、已に作り已に滅し、未だ対治を起こさず。又意の行有るが故に身語の行を起こす。此有るが故に彼有り。彼無きが故に彼を縁とする識も亦無し。此が全く滅すれば、当に識も亦随って滅すことを知るべし。

釈:問:いかなる行がないため識がなくなるのか。いかなる行が滅するため識が滅するのか。答:意根の諸行が自相続において生滅を繰り返し、対治法が未生起の状態で、意の行が存在する故に身口の行を生じる。意行の存在によって六識が生じ、意行が滅すれば六識も滅する。意行が完全に滅すれば六識も滅することを了知すべきである。

原文:問。何等の識有らざるが故に名色有らず。何等の識滅するが故に名色滅するや。答。種子識有らざるが故に果報識有らず。此等俱に滅するが故に俱に名色滅す。識が名色を望む道理の如く、余の支分乃至受に至るまで、其の相応する所に随って、当に亦しかるべしと知るべし。

釈:問:いかなる識がないため名色がなくなるのか。いかなる識が滅するため名色が滅するのか。答:業種を残す種子識がなければ果報識もなく、両者が共に滅すれば名色も滅する。識が名色を縁起する理と同様、他の支分(受に至るまで)も対応する法に従って同様である。名色の生起には業種が必要であり、業種は意根の行による選択によって生じ、六識が業を造作すれば業種が残る。後世に業種が熟すれば名色が生じ、新たな六識が果報を受ける。六識が業を造作しなければ果報識は生じず、名色も再生しない。その根源は意根の行が止滅することにあり、意根の行が止滅する前提は無明の滅尽による。

——生如法師の開示
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