(二十三)原文:問。若し取を縁と為すは、皆く是れ有なるや。設く是有なる者は、皆く取を縁と為すや。答。亦た応に順後句を作すべし。謂く所有の有は、皆く取を縁と為す。或は取を縁と為すも、而も是れ有に非ざる、謂く有を除く所の余の有支なり。
釈:問:もしある法が取を縁として生じる場合、それらの法は全て「有」に属するのでしょうか。もしそれらの法が全て「有」であるなら、全て取を縁として生じるのでしょうか。答:ここも順後句、つまり後半の文に沿って答えます。全ての「有」は取を縁として生じますが、取を縁とする法が全て「有」に属するわけではありません。例えば十二支のうち「有」以外の支分、生・老死・行・識・名色・六入・触・受・愛などの支分が該当します。取は有支の直接の縁であり、他の支分の間接的な縁でもあり、全て取によって現れるのです。
原文:問。若し有を縁と為すは、皆く是れ生なるや。設く是れ生なる者は、皆く有を縁と為すや。答。諸の所有る生は、皆く有を縁と為す。或は有を縁と為すも、而も生に非ざる、謂く生を除く所の余の老死、最後の有支なり。
釈:問:ある法が有を縁として現れる場合、それらの法は全て生支に属するのでしょうか。もしそれらの法が全て生支に属するなら、全て有を縁として現れるのでしょうか。答:全ての生は有を縁として現れますが、有を縁とする法が全て生支に属するわけではありません。例えば生支以外の最後の有支である老死も、有を縁として現れます。五陰世間の有がなければ、老死の現象も存在しないのです。
原文:問。若し生を縁と為すは、皆く是れ老死なるや。設く是れ老死なる者は、皆く生を縁と為すや。答。所有る老死は、皆く生を縁と為す。或は生を縁と為すも、而も老死に非ざる、所謂る疾病・怨憎合会・親愛別離・所求不遂、及び彼の起こす所の愁嘆憂苦、種種の熱惱なり。
釈:問:ある法が生を縁として現れる場合、それらの法は全て老死支に属するのでしょうか。もしそれらの法が全て老死支に摂されるなら、全て生を縁として現れるのでしょうか。答:全ての老死現象は生を縁として現れますが、生を縁として現れる法が全て老死現象に属するわけではありません。例えば疾病・怨み憎む者との出会い・愛する者との別れ・求めるものが得られないこと、そしてこれらによって引き起こされる煩悩や憂い・嘆き・苦しみ・様々な熱悩などが該当します。
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