衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常開示

2021年02月01日    月曜日     第1 回の開示 合計3051回の開示

観行と禅定の関係

禅定は止であり、観行は観である。この二つを合わせて止観といい、定慧とも称する。禅定と智慧の観行は相互補完の関係にあり、いずれかの法を証得するためには必ず定慧を等しく保ち、止観を双運せねばならない。仏法修証の過程において、禅定は先行的方便法門として極めて重要な役割を果たす。これがなければ観行は乱れ、表面の情思意解に留まり実質的法を観行できず、如実の結論を得られない。

世尊が弟子たちに小乗果を証させる際、理論の教示と並行して禅定を授け、定慧等持を実践させた。弟子たちは禅定を修しながら思惟観行を重ね、煩悩を効果的に降伏させ、慎密な思惟によって速やかに小乗果を証得した。世尊が定と観行を同期させて教えた法には四念処経・坐禅三昧経・禅法秘鍵経などがある。禅定によって煩悩妄念を降伏させた後、初めて如理如実の観行が可能となり、三十七道品を具足して証果に至るのである。

外道が仏陀に出会い瞬時に四果を証得できたのは、禅定の証量によって煩悩が降伏し、清浄な心性と強力な出離心を具えていたためである。正法義を聞くや即座に法眼浄を得て解脱した。故に禅定を修さずして果を得んとするは仏教界に存在せず、大小乗を問わず禅定の基礎修行は共通する。

禅定は煩悩降伏の方便前駆であり、初禅定に我見断尽の智慧を加えて初めて煩悩を断除する。煩悩を降伏させ悪を生じず善を生ずる段階を経て、初禅を得て心解脱の三果人となり、三四果に至って聖人と称される。仏教は常に定慧等持によって証果・煩悩断尽・解脱を成就する。煩悩妄念多き時は世間苦を観じ心を平穏にした後、禅定を修して観行を深め、定力と智慧を相互に増長させるのである。

——生如法師の開示
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