美しい音を聞くと、心がとても心地よく、楽しく感じられる。このことは実は夢と同じで、いずれも幻化で実体のないものです。夢の中で美しい音楽を聞いて心が喜ぶというのは、なおさら幻化で実のないことです。夢境は独影境であり、意根の遍計所執性 (parikalpita-svabhāva) が攀縁して現出した境界です。如来蔵 (tathāgatagarbha) は意根の貪愛と執著に依って、業種の中から直接に法塵の境界を変幻させて意根に了別させます。意根は詳細な了別ができないので、意識に共同で了別させます。そこで意識は音楽の声に対して作意・触・受・想・思を行い、感受が生じて、美しく耳に心地よいと感じ、内心は愉悦と快楽を覚えます。この中で、意根は如来蔵が幻化したものであり、夢境の音楽も如来蔵が幻化したものであり、意識も如来蔵が幻化したものであり、実在して滅しない法は一つもなく、すべてが虚幻で実のない、依り頼めないものであり、いずれも私や私の所有物ではありません。
目覚めた後は、夢境の音楽はなおさら跡形もなく消え去り、独頭意識 (mano-vijñāna-eka-citta) も滅し、独頭意識の楽感も存在しなくなり、真実とすべき法は一つもありません。夢の中で美しい音楽の声、讃美の声、好きな人や事を聞く、とても愉悦的な夢は、目覚めた後には何一つ残っていません。夢の中にはこれらの現象があるとはいえ、いずれも幻化した、虚妄で、実のないものです。もし人が自分の夢に見た人や事を真実であるとし、夜に見た夢を真実だと考え、絶えず幻想し、思い出しては執著と貪愛を生じ、なお夢の中の境界に浸り続けて、そこから出ようとしないなら、この人は実に愚痴で無智です。夢を見ているときに夢境を真実とするのは、すでに迷惑顛倒ですが、目覚めた後になお真実とするのは、なおさら顛倒です。
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