(五)原文:問。何の因縁によって、無明等の諸有支はこのような次第で説かれているのですか。答。すべての愚かな者は、まず知るべき事柄について愚かであり、次にその事柄について邪な行いを起こします。邪行を行ったため、心が転倒し、心が転倒したため、生の相続を結びます。生が相続するため、諸根が円満し、諸根が円満したため、二種の受用境(正報と依報)を享受します。境を受用するため、あるいは耽着し、あるいは希求します。希求するため、方々を求める際に煩悩が増長します。煩悩が増長したため、後の有(愛すべき業と愛すべからざる業)を起こします。起こした業の増長力によって、五趣の生死において苦果が生じます。苦果が生じた後、老死等の苦しみ、すなわち内身の変異によって引き起こされる老死苦、および境界の変異によって引き起こされる憂嘆苦、熱悩の苦しみがあります。
釈:問:どのような因縁によって無明等の十二因縁の十二有支がこのような順序付けで説かれているのですか。答:すべての愚痴なる者はまず知るべき事柄について無知であり、次にその無知なる事柄について邪な行いを起こします。邪行を造作したため、心を転倒させ、心が転倒したため、煩悩の結縛によって生命が相続します。生命が相続するため、六根が円満し、六根が円満したため、五陰身の正報と生存環境の依報を受用します。境を受用するため、あるいは境に耽着し、あるいは更なる希求を生じます。希求があるため、方々を求める過程で煩悩が増長します。煩悩が増長したため、後世の三界有における愛すべき業と愛すべからざる業行が生じます。造られた業行が増長したため、五道の生死輪廻において苦果が生じます。苦果が生じた後、生老病死等の苦悩、すなわち色身の変異によって引き起こされる老死苦、および境界の変異によって引き起こされる憂悲嘆息苦と熱悩の苦しみがあります。
原文:それ故に、世尊はこのような次第で十二支を説かれました。更に次第の差別があります。すなわち二種の縁に依って縁起の次第を建立します。一つは内身の縁、二つは受用境界の縁です。内身の縁は前六支(無明・行・識・名色・六処・触)に摂され、受用境界の縁は後六支(受・愛・取・有・生・老死)に摂されます。まず内身において我執等の愚を起こし、これによって諸業が引き起こす苦果の異熟を理解できないため、諸業を起こします。起こした後、即ちその業に随って多く尋思を起こします。業と識が助伴となるため、当来の三種の苦果(根初起に摂される苦果・根円満に摂される苦果・受用境界に摂される苦果)を感得できます。すなわち名色を先とし、触を最後とします。
釈:それ故に、世尊はこのような順序で十二支を説かれ、更に次第の差別があります。すなわち二種の縁(内身縁と受用境界縁)によって縁起の次第を立てます。内身縁は前六支に属し、受用境界縁は後六支に属します。衆生はまず内身において我執等の愚痴を起こし、我執があるため五陰身が一切の業行によって引き出されることを理解できません。造作した苦果が異時異所で成熟するため、一切の業行を起こします。業行が起こった後、その業行に従って絶えず尋思を生じ、更に業行と心識が助縁となることで、来世の三種の苦果(母胎における五根初生の苦果・出生後の五根円満の苦果・境受用時の苦果)を招感します。これらの苦果が現れる条件は、まず名色があり、最後に触があって初めて苦果が現れます。
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