原文:一切の衆生の本性は清浄にして、本来より生滅無く、即ちこの身心は幻の如く生じ、幻化の中に罪福無し。
釈:衆生とは即ち五蘊なり。五蘊とは即ち第八識が幻化したものにて、第八識と不二の関係を成す。その本質は皆真如第八識なり。真如第八識は自性清浄心にして、本来より自性清浄にして、染汚無し。されば真如の自體に依りて説けば、彼の生じたる五蘊の衆生は即ち清浄性にして、即ち真如如来蔵性なり。
若し真如第八識を離れ、各衆生の五蘊を個別に見る時は、却って染汚性・生滅性・変易性・無常性・無我性なり。真如第八識は無始劫より法爾として存在し、生じたるものに非ず、滅したること未だ無く、永劫に滅せざる故なり。されば第八識に依りて説けば、五蘊の衆生も亦無生無滅なり。その本質皆第八識の属性なればなり。
第八識には五蘊の種子を蔵し、縁に遇えば衆生の五蘊を生じ、第八識は永劫不滅なれば、恒に五蘊身を生じて断絶無し。されば五蘊を全體及び長劫にわたり観る時は、常存不滅にして仏と成るまで断絶無く、成仏の後更に滅すること無し。諸仏は此の五蘊身心を以て衆生を利楽し永劫に窮まり無し。若し各五蘊個體を別々に見る時こそ、生滅性なり。
五蘊より成る衆生の色蘊の身と受想行識の四蘊の心識は、皆真如第八識が諸縁に依りて幻化したるもの、恰も幻術師が虚空中に化現せる幻人の如し。而して幻人は如何なる罪業福業を造作するも、其の罪福業も亦虚妄不実にして、真実の罪報福報無し。五蘊の衆生も亦如是、幻化の衆生は如何なる罪福業を造作するも、其の業は虚妄不実なり。若し身に作り為すも、身は虚妄なり。若し識心に作り為すも、識は幻化にして実體無し。既に幻化にして実體無ければ、其の造作する罪福業も亦虚妄無実、真実の罪報福報無く、主人無ければ業行無し。
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