衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2021年01月06日    水曜日     第3 回の開示 合計2974回の開示

衆生の業力が異なれば、受用する内相分も異なります

一切衆生の如来蔵は外相分を摂取し、これを自らの内相分へと転換します。これもまた衆生自身の業縁に基づき、自らの業種によって摂取されるものです。外相分の顕現に参与する際、各自の業種が異なるため、出力される四大は他の衆生と異なることは必定であり、すなわち顕現参与に投入する「持分」が異なれば、果報もまた異なり、各自が感得する外相分も異なるべきです。よって各自の如来蔵が摂取する相分は異なり、顕現する内相分もまた異なる。これが第一の理であります。

第二に、衆生は業力が異なるため、仮に同じ外相分があったとしても、如来蔵がこれを摂取して顕現する内相分はやはり異なります。これは衆生の業種によるもので、六根に障礙があるため、中間において四大微粒子物質を正常に伝導・受容することができません。如来蔵もまた正常に対応する内相分を顕現し得ず、内相分は歪曲されたものとなります。そこで六識が分別するのは歪曲された内相分であるにもかかわらず、外側の真の外相分であると思い込み、六識は六塵に対し不正常な歪曲的了別をなすのです。さらに、六識には貪瞋痴の煩悩があり、その智慧は狭劣であるため、内相分を正常に了別することもできず、故に常に誤った了別をなすのであります。

——生如法師の開示
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