(二)原文:かくの如く現法において。無明触より生ずる受を縁として愛あり。愛を縁として取あり。取を縁として有あり。有を縁として生あり。生を縁として老病死等の諸苦差別あり。或いは生処において次第に現前し。或いはまた種子として随逐す。知るべし、此の中際において。無明を縁として行等あり。受を縁として愛等あり。これを因縁として。後際の諸行生ず。
釈:後世の諸行が出生した後、現前する法において、無明の触より生じた受を縁として愛が生じ、愛を縁として取が生じ、取を縁として三有が生じ、三有を縁として生が生じ、生を縁として老病死等の種々の苦悩の差別相が現れます。これらの苦悩は、生処(六道輪廻の処、三界の諸処)において次第に現れ、あるいは種子の形で名色に随逐し、阿頼耶識に蔵され、因縁具足すれば種子が現行し、再び苦悩が名色の処に出生します。現世において無明を縁として行が生じ、受を縁として愛等が生じ、これらの法を因縁として後世の一切の行が生じることを知るべきです。此世の五蘊が種子として落謝し、後世の五蘊を出生させ、これらの法が生生不已するは全て行の範囲に属し、寂止しなければ行ありとなります。
原文:また先に資糧を集積したる者あり。現法において他より法音を聞き、及び二果(声聞・縁覚)の諸行において、彼の因・彼の滅・彼の滅に趣く行を、如理に作意す。此の如理作意を縁として正見生じ、この次第に学・無学の清浄なる智見を得る。此の智見により無明及び愛を永く断じて余すところ無し。此の断じるにより、彼の所縁に対する不如実知、及び無明触より生ずる受もまた永く断ぜらる。此の断じるにより永く無明を離れ、現法において慧解脱を証する。
釈:前世に修行の資糧を積んだ者は、現世において他者から教法を聞く因縁を得、声聞・縁覚の二つの果徳における一切の行を修めます。十二因縁法における引因と滅尽、及び滅に趣く修道の行を如理に作意すれば、この如理作意を縁として正見が生じ、有学・無学の清浄な智見を得ます。この智見によって十二因縁の無明から愛に至るまでを断尽し、因縁法に対する不如実知と無明触より生じる受も永く断じます。これにより無明を永遠に離れ、現世において慧解脱を証得します。
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