衆生が接触し得る一切の六塵相は、全て内相分であり、外相分には接触できない。外相分の真実相は如来蔵のみが接触し得るが、如来蔵は外相分の具体的な六塵を分別しないため、外相分が具体的にどのような相状であるかを知ることもない。外相分は全ての有縁衆生の如来蔵が共同で出力する四大種子によって共同で顕現された色法であり、また全ての共業衆生の如来蔵によって共同で執持されるものである。
これらの色法は四大を含有し、個人の如来蔵もまた四大を含有しており、色法と相応ずることによって外相分の色法に接触し、さらに外相分中の四大微粒子を摂取して伝導することが可能となる。これらの微粒子も刹那刹那に生滅を繰り返し、一つの微粒子が生じては滅し、また次の微粒子が生じては滅すという過程を経て、四大で構成された微粒子が勝義根に伝導され、七識が縁することのできる微細な四大内相分へと転換され、外相分に相似する形態を成す。七識が分別するのはこの内相分であり、真の外界の本質色法ではない。
ある衆生がこの世を去る際、自らに属する外相分の四大種子を如来蔵に収め戻すならば、外界の外相分は従前とは異なる相を呈するが、衆生はこれを察知することができない。悪業を有する衆生が全てこの世を去れば、幾多の劣悪な外相分が滅却され、我々の世間はより美しく整うこととなる。もし更に聖人たちが増加し、彼らの善業の力が強大化して外相分の顕現に参与すれば、この世間は大きく様相を変えることになる。
7
+1