原文:如是我闻。一时。佛住舍卫国祇树给孤独园。尔时。世尊告诸比丘。若思量。若妄想生。彼使攀缘识住。有攀缘识住故。有未来世生老病死忧悲恼苦。如是纯大苦聚集。若不思量。不妄想。无使攀缘识住。无攀缘识住故。于未来世生老病死忧悲恼苦灭。如是纯大苦聚灭。佛说此经已。诸比丘闻佛所说。欢喜奉行。
解釈:世尊は比丘たちに告げて言われた:人が心に思量 (manasikāra/manana) と妄想を起こすと、六塵の境界に攀縁する六識が出生し、六塵の境界に住することになる。六識が六塵の境界に住しているがゆえに、未来世の生老病死、憂悲苦悩 (śoka-parideva-duḥkha-daurmanasyopāyāsa)、すなわち純大苦の集まりが生じる。人がもはや思量せず妄想を起こさなければ、六塵の境界に攀縁する六識は出生して六塵の境界に住することはなく、六塵に攀縁する六識が住していないがゆえに、未来世の生老病死憂悲苦悩という純大苦聚は滅して現れなくなる。
ここで言う思量と妄想は、いずれも意根の思量性と妄想性を指している。意根が諸法を思量し、諸法について妄想するとき、六識が出生して意根の妄想を満足させ、意根の妄想を実現する。すると六識は妄想の境界に住して絶えず身口意行を造作し、業種が留存されるので、後世の五蘊身が生じて生老病死、憂悲苦悩を受けなければならなくなる。もし意根がもはや諸法を思量せず、いかなる妄想もなければ、六識は出生せず、身口意行も現れず、業種の留存もないので、後世の生老病死、憂悲苦悩という純大苦聚は生じなくなる。
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