衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

生如法师のウェブサイトロゴ

日常開示

2020年11月18日    水曜日     第2 回の開示 合計2802回の開示

雑阿含経(三四七)の一

(一)原文:時に彼の須深は黙然として請いを受け、王舎城迦蘭陀竹園に詣でた。時に多くの比丘が房舎の外に出て、露地で経行していた。その時、須深は多くの比丘の所に詣でて言った。「諸尊者、私は今正法の中で出家し具足戒を受け、梵行を修めることができますか」と。時に多くの比丘は彼の須深を連れて世尊の所に詣で、稽首礼足し、退いて一側に立って白く言った。「世尊、今この外道須深が正法の中で出家し具足戒を受け、梵行を修めようとしています」。その時、世尊は外道須深の心に念う所を知り、諸比丘に告げた。「汝らは彼の外道須深を度し、出家させよ」と。時に諸比丘は須深を度すことを承諾した。

釈:外道須深は外道たちの要請を受けて王舎城迦蘭陀園に出家を志して赴いた。この時多くの比丘が房舎の外に出て、空き地で経行していた。須深は比丘たちの傍らに進み出て言った。「皆尊者、私は今正法の中で出家し具足戒を受け、梵行を修めることができますか」。この時多くの比丘は須深を導いて世尊の住処に赴き、額を地につけて礼拝し、退いて傍らに立ち、仏に申し上げた。「世尊、今この外道須深という者が無明の正法の中で出家し具足戒を受け、梵行を修めようとしています」。この時世尊は既に外道須深の心中を察知し、諸比丘たちに告げた。「汝らはこの外道須深を度して出家させよ」。諸比丘は承諾した。

原文:出家して既に半月を経た時、一人の比丘が須深に語って言った。「須深よ、知るがよい。我々は生死が尽き、梵行が立ち、為すべきことが為され、自ら後に生を受けることなきを悟った」。その時、須深は比丘に語って言った。「尊者、如何にして欲を離れ、悪不善の法を学び、覚有り観有り、離生の喜楽を具足し、初禅を成就し、諸漏を起こさず、心善く解脱するのでしょうか」。比丘は答えて言った。「そうではない、須深よ」。

釈:出家して半月が過ぎた後、一人の比丘が須深に言った。「須深よ、汝は知るべきである。我々比丘は生死が既に尽き、清浄な梵行が建立され、為すべきことが全て為され、後世の生を受けることがないと自覚している」。須深は諸比丘たちに言った。「尊者、如何に修学して貪欲の悪不善法を離れ、覚有り観有りの境地に達し、欲界を離れて喜楽を生じ、初禅定を具足し、それから一切の煩悩漏を生じさせず、心善く解脱を得るのでしょうか」。比丘たちは答えて言った。「解脱はそのように修するものではない、須深よ」。

原文:更に問うて言った。「如何にして覚有り観有りを離れ、内に浄らかなる一心を得、覚無く観無く、定より生ずる喜楽を具足し、第二禅を成就し、諸漏を起こさず、心善く解脱するのでしょうか」。比丘は答えて言った。「そうではない、須深よ」。更に問うて言った。「尊者、如何にして喜びを離れ捨心し、正念正智に住み、身心に楽を受け、聖説及び捨を具足し、第三禅を成就し、諸漏を起こさず、心善く解脱するのでしょうか」。答えて言った。「そうではない、須深よ」。

釈:須深は更に問うた。「如何にして覚有り観有りの境界を離れ、内心を純粋に保ち、一心に住し、覚無く観無き境地に達し、禅定によって喜楽を生じ、色界第二禅を具足し、それから一切の煩悩漏を生じさせず、心善く解脱するのでしょうか」。比丘は答えた。「解脱はそのように修するものではない、須深よ」。須深は更に問うた。「尊者、如何にして喜びの心を離れ、心の喜びを捨て、正念正智に住み、身心に楽を受け、喜びを捨てて楽を得、第三禅を具足し、一切の煩悩漏を生じさせず、心善く解脱するのでしょうか」。比丘は答えた。「解脱はそのように修するものではない」。

——生如法師の開示
前の記事前の記事

牛に琴を弾く

次の記事 次の記事

父子合集経講記(十一)

ページのトップへ戻る